最終話   テーブルの上に二通の手紙がある。  どちらも宛名は佐伯隆、僕へのものだ。一通は可愛らしい柄の封筒で、もう一通は文面の半分が外国の言葉で埋められたエアメールの絵葉書。  僕宛の手紙が二通ある。  ひとつは一年近く一緒に暮らした義妹からのもので、他愛ない世間話と最近付き合い始めた年下の彼氏との惚気が便箋いっぱいに書かれている。もうひとつは今は遠い国に夢を追って行ったガールフレンドからのもので、長ったらしい住所宛名の割に本文はひどくそっけない日本語が一行だけ書かれていた。  ごめんなさい、と。  テーブルの上に手紙がある。  僕は椅子の背に身体を預けながら、未だ吸い慣れていない煙草に火をつけ、数度咳き込んだ。  高校三年の秋、僕は進路を変更した。  一年前までは地元の市立大学か、隣街にある介護福祉系の専門学校を漠然と目指していた。それが同じく地元とはいえ国立の総合大学へと志望を変え、一年間の浪人を経てなんとか合格した。  夏木さんとの関係は、彼女の進路を聞いた時にある程度は分かっていた。彼女は小さい頃からの夢を実現するために、日本という国を離れたのだ。彼女にはそれだけの実力があったし、運もあった。両親は彼女の夢を全面的に支援していたし、それは僕や他のクラスメイトたちも一緒だった。  漠然とした将来設計さえ持っていなかった僕にとって、彼女の存在はまぶしかった。  夢を実現するために一生懸命になる彼女は素敵で、僕はそれを応援するのが精一杯だった。最初の一年間、それでもメールや手紙を頻繁に送り、慣れない土地で頑張る夏木さんを励ました。ときどきかけてくる短い国際電話の向こうから聞こえてくる彼女の声は、日本にいた頃より少し儚げだった。  それでも彼女は頑張った。才能に恵まれ努力を惜しまなかった彼女は、その国の人や留学生仲間とも打ち解け、夢に向かって突き進んでいた。手紙や会話の中に、僕の知らない人の名前が出始め、彼女の言葉に力強さが戻った頃。  手紙の数が急に減った。  毎週のように届いていた手紙が半月に一通になり、それがひと月ごとになり、途絶えるようになった。文面がよそよそしいものに変わり、忙しいとか、心配いらないという言葉が便箋を占めるようになったのだ。メールを送っても返事は来なかった。  いまテーブルの上にある絵葉書は、半年振りに届いた、そして彼女からの最後の手紙だろう。絵葉書には、見知らぬ国で奮闘する繊細だが力強そうな青年と、それに寄り添う彼女の姿が映っている。いつか彼女が電話で話していた、相談事に乗ってもらっているという男性なのだろう……彼女の幸せそうな顔だけが、僕にとっては救いだった。  えりかとの同居生活は、高校三年の夏まで続いた。  彼女は学生寮に戻るのを嫌がったが、僕が進路変更で勉強に忙しいことを知り、しぶしぶではあるが僕の部屋を離れた。  僕が浪人となったとき、彼女は嬉しそうに「同じ大学を目指そう」と言ってくれた。それは、浪人生活を始めて少しばかり気が重くなっていた僕にはとても魅力的な提案だった。が、僕は彼女の厚意を辞退した。贔屓目に見てもえりかは優秀な生徒で、都内の有名私立大からの推薦を受けられるほどの成績を取っていたのだ。僕は、彼女の実父である安東直弘氏と共に彼女を説得した。 「いいわよ、その気になれば電車で二時間だもの」  意味深な台詞を残して東京の大学に進学したえりかは、最初の夏休みを迎える前に彼女曰く「運命の出会い」をしたという。冬が来て夏が来て、えりかは必要最低限の用事を済ませる時にだけ実家に帰ってくる。義母は呆れているが、僕が彼女を弁護しているから強くは叱れないようだ。  小旅行で東京を立ち寄ったとき、えりかは僕にボーイフレンドを紹介してくれた。僕とは違って体育会系のがっしりした体格で、そのくせ物凄い腰の低い男性だったので僕はひどく驚きつつも、彼氏の誠実な人柄を見て義妹の幸せを喜んだ。  僕は、あの頃と同じアパートで暮らしている。  相変わらず部屋の中に家具は少なく、二部屋の一方は仏間を兼ねている。両親は相変わらず仲の良い夫婦で、別れたはずの元夫である安東氏とも友人付き合いをしているという。  僕は、大学二年の春までこのアパートで過ごすことを決めた。四年契約がちょうど切れるから、新しい下宿を探そうと思う。母の遺品と最低限の家具と、それだけを持っていこう。  明かりも点けない薄暗闇の部屋の中で、僕は溜息を吐くと、うまい訳でもない煙草を灰皿に押し込むように揉み消した。