第十話 たごのうらゆ  珍しくも雪の降る日の出来事だった。  その朝、佐伯隆は保護者代理という形で青蘭女子学園を訪ねていた。今は校舎のみが現存するが、黄色いレンガの建物は明治時代の建造物をわざわざ移築したものである。  元は華族の邸宅だったとか。  そんな適当な噂さえ、実際に敷地を歩き建物を間近に見れば信じてしまいそうになる。土台からレンガの組み方、内装に至るまで、西洋建築と日本本来の建築がギリギリの歩み寄ってひとつの美を作り上げている。無論、その仕事に手抜きなどない。最高の技術と誇りを持った職人が、まさに生涯に誇ったに違いない建築物だ。  建物だけ見れば、鹿鳴館の時代に逆戻りした錯覚さえある。 「突然お呼び出しして申し訳ありません」  隆を出迎えたのは、中等部の学園長を務める初老の女性だった。穏やかな笑みは建物と調和した雰囲気ではあるが、同時に言いようのない胡散臭さを感じさせる。まるで洋館に憑く貴婦人の幽霊のように、とらえどころのない女性だと隆は感じた。 「親御さんに連絡して来ていただこうとお願いしたのですが、この件は義兄である隆さんが最適であると仰られて」 「万理さん……えりかさんの、お母さんが?」  学園長が静かに肯く。  その後に会話は続かず、隆は学園長の後に続いて建物の中を歩いた。平日の中等部は期末試験を控えて慌しく、そこに普段見かけることのない学生服の男子高校生が歩いているのだから、少女たちの視線は自然と隆に向けられた。隆が、彼女たちの視線を集めるに足る容姿の持ち主というのもある。 「若さというのは、それだけで力です」  授業開始のチャイムと共に生徒たちが教室に消えるのを見て、学園長は面白くて仕方がないようだった。 「知恵に縛られず、無茶をしても社会の庇護下にあり、それでいて可能性を信じていられる。時として周囲を傷つける傲慢にもつながるけれど、自ら痛みを経験することで心と体を鍛えていく。それが若さとは思いませんか?」 「……僕も若造ですので、その境地はちょっと」  実感できません。  どういうわけか申し訳ない気持ちになって隆は頭を下げる、学園長は「こっちこそ変な質問をしてごめんなさい」と軽く流した。 「それでもね」  改築を重ねたため迷路のようになってしまった校舎を歩き、ようやくたどり着いた目的の場所、つまり来賓用の応接室を前に学園長は言葉を重ねる。 「若さでしか乗り切れない試練というのも、世の中にはあると思うのです」  そうして案内された応接室には先客がいた。  三十路半ばから四十路に見える、清潔な印象の男性だった。派手さはないが実用的で質の高い服に身を固め、装飾物の品格に負けないほどの風格を備えている。人として様々な体験を経て、数え切れぬほどの困難を乗り越えた上で身につけた優しさがあった。 (ああ、そういうことか)  男性の面立ちを見て、隆は自分がここに呼ばれた意味を理解した。その様子に気づいたのだろう、男性もまた隆の入室に合わせて椅子より立ち上がり軽く会釈した。 「えりかさんの、お父さんですね」 「安東直弘と申します」  直弘は少し哀しそうに微笑むと、隆の手を強く握った。