破壊しつくされた大門家の屋敷跡に、一人の青年が立っていた。 「や、お仕事おつかれさん」  ほんの半刻まで殺戮が繰り広げられていたというのに、それを無視するかのような馬鹿馬鹿しいほどさわやかな笑顔で、青年は村上文彦に片手を挙げる。 「華門か」 「ああ。今日は綾代の執行人として来たんだ」  普段とは違い白地の法衣に身を包み、蓮の華の紋様をあしらった彩色の衣を上に重ねている。手に持つ錫杖は仏法のそれでも神道の玉串でもなく、斧槍に近い。とはいえ無骨な品ではなく、羽の生えた乙女が八方に翼を広げる意匠であり、翼がそのまま斧の刃となっている優美なものだ。  腰帯には鋼巻き鞘の大脇差があり、仙鉄の大太刀が下げられ、右肩には虎を模った獣面があてられている。普段は短く刈っている栗色の髪は漆黒となり背に届くほど伸びて、象牙の髪留めで束ねている。知らぬものが彼を女性と見間違えたとしても責められるものではない。 「完全武装かよ」  赤子を庇うようにしながら、文彦は華門の尋常ならざる雰囲気にたじろいだ。 「華門ほどの術師が、こんな赤ん坊ひとり殺すのに完全武装で現れるとは思わなかった」 「返答次第で影法師を敵に廻す予定だったし」こともなげに肩をすくめる「因素剣の所有者を前に油断なんてできないさ。しかも非公式とはいえ仙位の資格を持った術師を相手にするかもしれないのに」 「……簡単には殺させねえ」 「だったら」  手抜きは許されないだろう?  錫杖の刃を魔力の光で輝かせながら、華門はひどく楽しそうに微笑んだ。  影法師村上文彦 晶  最初の夜。  赤子から十歳まで育ってしまった少女にアキラという名を与え、自分が父親だと説明し、下手くそなホットケーキと有り合わせの材料で作った夕食を一緒に食べた。  寄生主である文彦から情報を得たのだろう、言葉やマナーなどを理解していたアキラは、実に手のかからない子だった。 「兄さんの子供とは思えないくらい可愛い」  数年前に着ていた服をアキラに提供した小雪は、自分が「おばさん」であるという事実を忘れてアキラに抱きついた。 「この子、ものすごい美人になるわ」 「えへへ」  悪意のない抱擁に、アキラもくすぐったそうに笑いながら小雪にすり寄る。小雪が文彦の妹であることを本能的に察しているのか、怯えることはない。 「ベルさんやサホさんには近寄らないのにね、アキラちゃん」 「あのおねえちゃんたち、こわい」  沙穂とベルの顔を思い出したのか、いやいやと首を振る。 「あー、やっぱりライバルのことは敏感にわかるのね」  頭を撫でてアキラを慰めつつ、しみじみと頷く小雪。 「なんだよライバルってのは」 「だってアキラちゃん、もうじき大人になるんでしょ? 兄さんなんて一発でメロメロの美人になるわよ」 「ぱぁぱ、めろめろー」  わかっているのかわかっていないのか、小雪と一緒にアキラは「めろめろー」を繰り返し、居間の安っぽいソファの上で弾む。 (生命として安定するまで、少なくとも三度の変態を迎える)  華門の言葉を思い出し、己の掌を見つめる文彦。 (言うなれば、彼女は可能性だ)  半日前。圧倒的な力で文彦を追い詰めた華門は、意外な言葉を口にした。 (蛭子にせよ人形姫にせよ、極限状況にあってなお生を諦めない命は時として予想だにしないものを呼び寄せる。かつて人形姫計画の被験体のひとりが獣の王を呼び寄せたように、その子はとんでもないものを自身の身の内に宿したようだ)  我がことのように感心しながら、華門は刃を収めた。  自身で封じていた力を解放し、それでもなお足下にも及ばぬ力量差を痛感した文彦は、呆然と赤子を見ていた。十ヶ月齢に満たぬほどの赤子は傷ついた文彦を庇うように彼の前に這い出て、きっと華門を睨むと両腕を広げたのだ。 (本能か、あるいは親と定めたものを守る想いか)  華門は戦いを止めた。  文彦の傷を癒し、赤子の額を撫で、ならば立派に育ててみせなさいと。華門は赤子の手に口付けし、そのまま姿を消した。文彦は赤子を抱き、犬上の地に戻り現在に至っている。  華門が何を言おうとしていたのか、文彦も多少は思い当たるところがある。しかし言葉に出すことはなく、文彦は自分の部屋に客用の布団を敷いて一緒に寝ることにした。  二度目の変異は、明け方に訪れた。  それを理解したのは睡眠時の異様な虚脱感と、己の懐に潜り込む生暖かい異物。  もぞもぞと。  胸元に張り付く肌の感触は柔らかい。ベルが無理やり押し倒してくるときのような、そういう流れを思い出す。気配は彼女のものではない。  アキラだろう。  見た目が十歳でも、人の限界を越えた存在であっても、生れ落ちて一日しか経っていないのだ。どれほど賢い存在でも親が恋しくても不思議ではない。文彦は己の布団にもぐりこんできたものを、ぎうと優しく抱きしめた。  数十分後。  いつまで経っても起きてこない兄に業を煮やした小雪が部屋に踏み込めば、果たして布団に文彦は寝ていた。  胸元には抱え込むようにして眠るアキラ。  ただし、その姿は十四か十五に達しようとしている。もはや幼子とは呼べず、膨らむべき場所が見事に膨らんで、一糸纏わぬ裸身のまま文彦に抱きつき「ぱぁぱ、だいすき」と幸せそうに頬を摺り寄せていた。 「……」  どのへんから突っ込むべきかと考えて、とりあえず一人の女性として包丁メッタ刺しというステキな選択肢を思いつき、それを実行することにした村上小雪十二歳。  最初の一刺し直前で殺気に気付くも現状を認識するまで数秒を要した兄文彦は、その後騒ぎを聞きつけて慌てて駆けつけた両親ならびに千秋その他女性陣により、袋叩きに遭うことになる。 「あのね、アキラさん」 「はい、ぱぁぱ?」  なんというか見事なプロポーションのアキラを前に、文彦は言葉を詰まらせた。もはや小雪の昔の服は入らないし、下着のサイズもあわせなければいけないだろう。最後の変態がいつ訪れるかは定かではないが、それは予測できるものではない。 「御飯食べたら、服を買いに行こう」 「はいっ」  反抗期を迎える以前の無邪気さで、少女アキラは嬉しそうに返事した。