朝起きると、桐山沙穂の股間に見慣れぬ生殖器が生えていた。  たっぷり三秒間硬直し、それから悲鳴を上げるのを諦めて、上体を起こしてそれをしげしげと眺めることにした。  直視しているわけではない。  へそ下から膝にかけて覆っている水色のタオルケットをテント状に持ち上げている、屹立したシャフト。その形に目眩を感じ、こすれる布地の感触に脳がパニックを起こしかけている。  沈黙。 (なによこれは)  かろうじて思考が六文字の言葉を紡ぎ出した。彼女の身体を覆っているのはタオルケットのみ。マリリンモンローを気取って全裸で寝る趣味はない。  意識がまとまらない。  本来存在しない男性器があるためか、神経系が正常に動けずにいるのだろう。超雄や両性具有という希少例が示すように男女の脳組織はそれぞれの異性の器官に対応できるかもしれないが、文字通り新しく生えた器官を自在に扱うには相当の訓練が必要に違いない。  そうだ。  そもそも生える理由が思いつかない。  生えるメリットがない。  生えるようなことはしていない! (そうよ、これは夢よ)  現実逃避として適当な理由を見出し、沙穂は頭を抱えた。腕を幾ら振り回しても揺れるのは髪でありそれ以外の部分は微動だにしない。とても哀しい。 (夢なんだから、とっとと覚めるのよ!)  絶叫しようとして。  沙穂の横で動く小さな身体。 「うぅ、ん……」  幸せそうな、満足そうな声。  甘ったるく、そして気だるい声。  ベッドのスプリングがわずかにきしみ、もぞもぞと細い腕が動く。白い肌。日本人の血が四分の一でも流れているとは思えない、色素のない肌。腕に隠される、やわらかな双丘。自由な左手が掴むクリップボードには下手くそな正の字が二つ半ほど書き込まれている。  二つ半。  意味するところを理解しようとして、沙穂は傍らで眠る少女を見た。ベル七枝。術師としてのパートナーであり、ほんの数ヶ月前までは同じ少年を想っていた恋敵でもあった。表現が過去形となったことを何度悔やんだか、沙穂は覚えていない。  だが今はそれを論じるところではない。  甘い声をあげて眠り続けるベルの横顔に、泣いているような喘いでいるような白痴めいた表情が、なぜか被さる。  記憶にないはずの、顔。  記憶がなければ思い浮かぶはずのない表情。 (……夢よ)  悪い夢。 (とにかくとびっきりの悪夢でリアリティあるけど、これはとにかく夢に違いないの。私がそう決めたんだから、夢なのよ)  しかし沙穂の意識は一向に      影法師村上文彦 まくらかえり      ひどい夢を見た。  夢だと信じたいのに一向に覚めないから、沙穂は夢を見続ける破目になった。  額には、銀糸を織り込んだ一枚の符。 『淫夢十八禁』  朱墨で書かれた五文字が魔力の光を帯び、時折もれる沙穂の艶っぽい吐息に符が揺れる。 「えー」  できるだけ平静を装いながら、村上文彦は研修中だという駆け出しの術師たちを前に簡単に説明をした。どういう理屈か、沙穂の見ている悪夢は呪符を通じ、間近のTVモニターに映し出されている。  総天然色で。  ステレオ音声で。  もっとも画面の中で目を覚ましたベルが沙穂を押し倒した辺りで文彦は折りたたみ式の液晶モニターを倒して伏せたので、かすかにスピーカーからもれる音声しか情報はない。それさえも旧式エアコンのやかましいコンプレッサーの音でかき消されているので、隠蔽は完全に近い。 「符術というものは結印術式にくらべて即興性に欠けるけど、その分だけ極めて高い精度で術を組み立てることが可能だ。施術師以外でも扱える点も大きい」 「質問です、村上教官」  女子大生風の少女が、恥ずかしそうに悔しそうに顔を紅くしながら挙手した。 「あちらの女性に、ああいう符を貼り付けたのは教官の意向ですか?」 「とても良い質問だ」  嘆息し、何度も頷く文彦。その表情は悲痛極まりない。 「夢を操作するための術式を組み込んだ符を作成したのは、おれだ。その意味での責任は、おれにある」 「夢の中身を具体的に指定して対象に貼り付けた実行犯は別にいると?」 「そうだ」 「つまり、たとえるのなら……胴体をチタン合金の鎖で縛られ首からは『わたしは教官にセクハラしようとした不届きものです』という看板を下げ、同じ女性として同情を禁じえない個性的なメークで顔を彩った様を午前中から館内全域に生中継され続けているような、そういう実行犯ですか?」 「具体的な質問ありがとう。それがそのまま回答と思って欲しい、他になにかあるか?」  反応はない。  文彦は深く深く息を吐くと、次の課題に移ることにした。