第十六話 村上家の人々  法術師の名家というのがある。  人が魔術を行使できるかどうかは単純に技術的な問題だが、効率や性能の上で優秀な術師を多く輩出する家系というのは現実に存在しているのだ。 「筆頭に綾代の直系、傍系とて工藤・蓮田・板・湯越・夜野の五家をはじめとする名家が揃う。没落しているけど大門の家もいまだ影響力を持っているし、知名度なら源・土御門・神楽・坂薙・芦屋・安部の各家が圧倒的だな」 「坂薙って?」  青空の下、山より降りる涼風が心地良い。  犬上から自動車を飛ばすこと数時間。およそ文明とは無縁に等しい山奥の道の上。どういうわけかパンクしてしまった乗用車は立ち往生し、タイヤ交換をするまでの数十分を村上文彦と小雪の兄妹は待ちぼうけていた。最初こそ犬上では見られないような針葉樹と広葉樹の混交林に、小雪は驚きつつも感激して歩き回っていた。残念ながらアウトドアの趣味のなかった彼女は、数分も経たず襲いくる凶悪なやぶ蚊から逃げるようにして森から出て来た。ひたすらに暇を持て余していた小雪は、同じく暇そうにあたりの景色を眺めていた文彦に相手を求めた。  とはいうものの、四六時中術師として動き回っている文彦である。洒落た話題など手持ちにはなく、困惑していると「兄さんの業界について教えて」とせがまれ、講釈が始まった。かくして始まった講義はろくな資料もなく教師一人生徒一人という寂しいものだったが、講師は現役でも有数の術師である文彦である。対する生徒の小雪もなかなか核心をついた質問をするので、文彦は満足している。文彦は枯れ枝で地面に幾つかの簡単な家系図を書き、妹である小雪に示した。 「草薙家と坂上家の源流が坂薙だ。いずれも東西の異形を数多く打ち滅ぼした英雄の家系で、刀剣を扱わせれば比類なき実力を発揮するんだ。古神道系列では、坂薙の名と血そのものが強力な呪を持っているとか」 「ふーん」  小雪は幼い頃から数多くの術師に出会い、自身も術師としての素質を持っている。母深雪の意向により術師としての教育と訓練は最低限に留められているが、小雪はそれなりに興味を示している。あくまでそれなりにではあるのだが。 「じゃあ、うちの本家ってどうなの?」  それが本題であるかのように、小雪は目を輝かせた。数日前に姿を現した、やたらと腰の低い親戚とやらが文彦と同じように術師だったのが嬉しかったのだろう。山の日差しを受けて熱を帯びた自動車のドアに背を預け、兄の回答を待っている。 「術師としての村上ってのは、群神って当て字があるように日本の旧い神々を信仰していた一族ではないかって説がある」 「うんうん」 「山岳信仰を行っていた連中とかとも信仰があるし、いわゆる忍者の家系にも若干つながりがあるとも主張してる。事実、特異的な体術が継承されているし」 「うんうんうんっ」 「ただ、特定の血筋というよりも主流派から外れた連中が寄り合い所帯みたいにして集落を作った結果生まれた家柄ってのが本当のところらしい。歴史に名を残した奴はいないし、大した記録も残ってはいない」 「……う」 「縁の下の力持ちと言えば聞こえはいいが、名ばかりとなってしまった幾つかの名家を維持するために下働きしたり養子縁組をすることも多いそうだ」  文彦はできるだけ小雪の夢を砕かないよう努めていたつもりだった。 (でもなあ)  ちら、と文彦は横を見た。  自分の車だからとスペアタイヤを取り出そうとする母深雪を必死に止め、代わりにタイヤ交換を一生懸命続けている美男美女がそこにいる。深雪の言葉が正しければ、深雪の従弟妹に当たる男女らしい。二人の顔面や頭頂部に大きな絆創膏が貼ってあるのは、文彦と深雪の手加減無し喧嘩に割り込む形で二人が村上家を訪れからだ。鉄骨を歪ませコンクリートを砕くような拳と蹴りを喰らい、彼らは文字通り吹き飛んだ。文彦が慌てて再生術を施したから何とか息を吹き返したものの、復活した彼らは平身低頭を貫いている。 「それでも名家の一つには数えられるから、本家の人間はとてもプライドが高いと聞いているんだが」 「出会い頭に殺されかけたら、プライド棄てる人多いと思うよ」  不思議そうに首を傾げる文彦に、小雪が冷たく突っ込んだ。  長野県の山の奥。あまりに深い山中なので、地元の住民も滅多に立ち寄らない山の奥。  どういうわけか丁寧に舗装された道の果て、そこに村上一族の本家がある。 「無粋な」  静謐にして虚飾の一切を排した山々、その中にあって黄金と極彩色を恥ずかしげもなくちりばめた門柱が村上文彦の前にあった。およそ侘び寂びなる言葉より数光年かけ離れた門構えは、金だけはかかっていそうだ。重厚な門扉は鋼鉄に漆を塗り金粉を散らしたものであり、八卦太極はもとより生命の樹さえモチーフとした前衛芸術かもしれない落書きが漆喰塗りの壁に不必要な彩りを与えている。 「無粋な」  一度だけでは不快を表しきれなかったのか、文彦はもう一度同じ言葉を繰り返した。妹の小雪はひたすら呆れ、母の深雪は沈黙を守り、結果として文彦の声だけが山に吸い込まれる。残響するには音量が足りないものの、数歩先を進む幻左と夢磨の耳に届くには十分だった。  なるほど、この色彩感覚はタイガーバームガーデンに通じるものがあるかもしれない。大陸の脂っこさとパワーをもってすれば御すことも可能かもしれないが、清貧なる日本の野山に似合う彩色は紅葉のものであり、村上本家の門屋敷を受け入れるには地味すぎた。 「趣味が信じられねえ、目的がつかめねえ、建てた意味がわからねえ」  あるだけ無駄といわんばかりに文彦は結論を下し、山肌に沿うように視線を上げた。  恐ろしいことに門は一つではなかった。見えるだけで八つの大門、木々の間より覗く瓦屋根を考えれば十二、三の門があるのは確実だ。全ての門は趣味の悪い装飾が施され、異形の類とは異なる禍々しいオーラを山中に放っている。 (これは、アレだよね) (アレだよなあ)  ようやく我に返った小雪がひそひそと耳打ちすれば、苦虫を噛み潰したような顔で文彦が頷く。  それより数秒後。  門の向こうより放たれた一本の矢が、放物線を描いて小雪の胸に刺さった。 「かーっかっかっかっか、貴様が倒した幻左と夢磨は我ら村上一族でも一番の小物! そ奴ら程度を倒したところで村上本家に至ろうなど片腹痛い!」  大門の屋根によじ登って現れた巨漢が、太鼓のような腹を震わせる。術師というよりは大道芸人をやった方が稼げそうな巨漢は六尺の金棒と鋼弓を担ぎ、不安定な屋根の上で叫ぶ。本人は豪快に笑っているのかもしれないが、不安定な場所で声を震わせずに張り上げるのは難しい。声楽の基礎を修めた舞台俳優ならともかく、筋肉の張りより脂肪の膨らみが大きい巨漢の身体では無理というものだ。  つまり巨漢の出す声は変に震えてしまい情けないことこの上ない。 「貴様の女に刺さった矢は十二時間で心臓を貫く! それを止めるには、本殿に通じる十二の門を通り抜けねばならぬ! しかし門には村上一族最強の……」  べらべらと喋る巨漢の前で文彦は矢を引き抜いた。  小雪の胸に深々と突き刺さっているはずの矢を、である。 「最初から刺さってなどいないさ」  当たり前のように、深雪。雷撃や光弾などを駆使する術師や異形相手に戦ってきた文彦だ、型を修め弓のなんたるかを理解した射手の放つ矢ならともかく、力任せに弓を引いただけの矢を受け止められぬ訳がない。 「では門を突破する理由も失せたわけだ」 「兄さん、帰ろ? ここの人たち、駄目すぎ」 「今から帰れば明日の仕込には間に合うな」  本気で帰ろうとする母子三人。幻左と無磨は必死に彼らを引き止めた。 「様式美とか義理人情とか、そういう観点で一族を評価してくださいっ」  帰宅しようとする村上一家を引きとめようと、幻左は地面に額をこすりつけるようにして何度も土下座する。 「様式美」  胡散臭いものをひしひしと感じつつ、村上小雪はその言葉を口にした。 「じゃあ、やっぱり五色の戦隊とか四人のアイドルとか三匹のサムライとかいるのかしら」 「それ様式美と違います」  しかしながら外れている訳ではない。  いまだ門の上で何事かを叫んでいる巨漢の言葉に耳を傾ければ、八部法師とか四大天王など仰々しい言葉が聞こえてくる。喋っている本人が理解しているのかも怪しい四文字熟語が時折聞こえてくるが、小雪はその全てを聞き流すことにした。 「その見方だと、村上一族って悪の側だよな」  いいかげんうるさくなったのか村上文彦は巨漢を門より蹴倒し、門の向こう側に集まっている雑兵集団を眺めた。どれも時代錯誤な衣装に武装で、文彦を見るや聞くに堪えない罵声を浴びせかけてくる。 (間違っても俺は正義の味方じゃねえけど)  放っておくのも癪に障る。  そう考えると文彦は術式を組み立て虚空を睨んだ。  十二の門に守られた山の頂に、その屋敷はあった。  神社と仏閣を組み合わせたようなそれは、意外にも簡潔に造られており建てた者の趣味の良さがうかがい知れた。もっとも庭の玉砂利も見えないほど設置された大理石像の数々、たとえばレプリカにしても出来の悪いナポレオン像や小型の自由の女神やロダンの彫刻などを見るに、建てた者と現在の住人との間に致命的な美的感覚のズレが生じているのは想像に難くない。 「我が一族の裏切り者、文彦」  感覚を疑うべき人物が、屋敷の庭にいた。齢五十を過ぎて久しい女性だが、歳の割に肌の張りが良くしわの数も少ない。無論それは歳に比べての話であり、目元口元の小さなしわは隠しようもないし、肉のたるみも無視できない。雛人形の官女が着るような衣に袖を通しているため体型を詳しく知ることは難しいが、気功を修めた人間のような活力の充実は見られない。 (駆け落ちした深雪が産んだ、魔人との混血児)  人であって人ではない忌み子。それが村上一族における文彦の認識だった。仮にも術師を数多く輩出し、名家の一つを自称する集団である。 (人に与するならば、それでよし。その本質が魔物と大差ないのであれば、一刻も早く討つのが村上家の責務)  直に会った事はない。  だが影法師の名は術師の業界に広く伝わり、一族の者も文彦の業績を耳にしている。名家とは言うものの種馬扱いの村上家にあって、術師としての業績を残している文彦の存在は羨望と憎悪の対象となったのだ。傍流とはいえ村上家の息女たる深雪が出奔し、そこで設けた子供というのも問題だ。村上家正統の血筋ならともかく、傍流の私生児に等しい文彦が活躍することを快く思わない人間は村上一族には多い。  この女性、つまり村上家正統の当主にあたる村上聖羅は唇を噛んだ。もしも文彦が噂どおりの実力の持ち主ならば、その血を本家に取り込む事さえ選択肢にはある。全てを決めるのは、文彦を見てからだ。 「……遅い」  文彦を招くため、聖羅は一族でも有数の腕利きを派遣したのだ。幻左と夢磨の二人は、術師としての実績もある。万が一文彦を敵に廻すことがあっても逃げ切れるだけの実力があると確信もしている。その証拠に二人は文彦とその家族を連れてきた。  が、連絡を受けて待っているものの一行に姿を見せない。 (門を守る連中が何かしでかしたか?) 「いや別に」  不機嫌そうな少年の声。それが文彦のものだと知らぬ聖羅が振り返れば、彼女がまさに待ちわびた一行がそこにいた。車ごと。 「大したことをされたわけじゃないし」   とは言うものの屋敷を守る十二の門は突如として発生した圧倒的な暴風に巻き込まれ、幾つもの悲鳴があがっていた。ハヤテが生み出す圧倒的な破壊の風が十二の門を蹂躙し、趣味の悪い極彩色の建造物を塵に還している。人間や個体レベルの異形の侵入を想定していた門番たちに、自然の猛威に匹敵する風の裁きを打ち返すだけの力はない。 「まあ、突破してみせろって言われたわけで」 「うん」  竜巻に飲み込まれ吹き飛ぶ自称八部法師と四大天王。  その破壊の様相に腰を抜かす聖羅を、深雪は複雑な表情で助け起した。  旋風と呼ぶにはあまりにも凶暴な竜巻が、村上一族の所有する山を蹂躙した。  だがその竜巻でさえ異形ハヤテが放った風の副産物に過ぎない。山の斜面を下るように生じた「それ」は豪華ではあっても機能的な意味のない十二の門と壁をまとめて切り崩した。吹き飛ばしたのではないし、真空破による斬撃でもない。風が風であるための力、空気を動かし対流を生み四季を大地にもたらす力が圧縮され、ありえざる速度と破壊力をもって十二の門を突破したのである。 『そは風裂きの刃』  猛禽の姿で現れたハヤテは村上文彦の肩に止まり、誇らしげに翼を広げた。文彦に仇なすつもりなら更なる斬撃を喰らわせるとの意思表示にも見られる。かつて魂を喰らうものに同じ術を放った時は九割以上の力を相殺されたのだが、村上一族には彼ほどの術師は存在しなかったようだ。 『そんなバケモノがたくさんいても困るよなあ』  局地的な異常気象を引き起こした張本人は、威嚇しつつも上機嫌だ。人間形態時には可憐な少女だというのに、猛禽の姿では性別を感じさせない声である。そのハヤテを従えているのだから、集まった村上一族は自然と文彦に注目する。恐怖と、それを上回る好奇心が彼らの思考を埋め尽くしていた。 『それで旦那、とりあえず蹴散らしときましたけど』 「やりすぎだ」 『北の連中に比べればおとなしいもんじゃありませんか』  連中だったら山の形を変えてますぜ。  誇張でもなんでもない事実を告げるハヤテだが、それもまた十分な脅しとなった。これでもハヤテは力を加減しており、その気があれば山そのものを吹き飛ばすことも造作でもない。広げた翼に蓄えられた力の大きさが、その言わんとするところを語っている。 「当主はおられるか」  尋ねることがあると控えめな口調で文彦が前に出れば、野次馬と化した一族の連中は二歩退く。十歩も進む頃には人の波はすっかり退き、母深雪に支えられた聖羅が取り残される形で現れる。 「……妾が一族を束ねる聖羅だ」 『うわっ、正気を疑いたくなるような名前っ』  文彦と小雪の気持ちを代弁するかのようにハヤテが大袈裟に驚き。  その直後、文彦はハヤテを叩き落し人間形態に戻すと何度も何度も頭を下げさせた。  逆鉾。 「親父がこの山に残したと聞いている。深雪と駆け落ちする時に、比良坂の名を冠した逆鉾を託したはずだ」  恫喝ではない。事実を確認する口調で文彦は聖羅に尋ねた。 「あれは、今もこの山にあるか」  返事はない。 「持ち去ったのは神楽か」  聖羅が驚いたように表情を変えて文彦を凝視し、無言を通す。驚きも落胆もせず文彦はそれを確認し、面倒くさそうに頭をかいた。文彦を倒そうという血気盛んな若者が時折術を組み立てるが、それらは全て即座に術式を解除されあるいは強烈なしっぺ返しを喰らう。名家を自称する村上の一族は文彦にとってはカキワリの背景に等しく、その扱いに彼らはこれ以上ない屈辱を覚えた。 (あの野郎、犬上の街でなんか企んでるな)  と考える余裕さえある。なぜならば村上一族の総本山ともいうべき山は霊山としての価値はあるかもしれないが整然とした霊脈の支配下にあり、犬上のように混沌とした力の奔流に飲み込まれてはいない。普段は霞がかかったように把握しにくい個々の魔力霊力の流れが完璧に近い形で理解できるのだ。だから特異点都市である犬上と異なり、それぞれの術師や人間が抱える正負の感情や精気の流れを文彦は精確に知覚している。現時点に限っては視覚よりも信頼の出来る感覚が彼ら一族の行動や運動能力を理解し、さらに文彦自身理解していないことだが、犬上の霊脈により抑圧されていた文彦の力そのものも膨大化していた。  たとえ百に迫る術師が同時に何かを仕掛けたとしても今の文彦は冷静に全ての攻撃に対処できるだろう。  真に優れた術師は物量の差を圧倒し単騎で戦局を引っくり返すだけの力を有する。それは単に誇張された噂話ではなく、幾つかの活ける伝説として術師たちの間で認識されている事実である。 「あの逆鉾にはいかなる力が?」 「犬上の特異点を操作する鍵だよ、当主殿」  声は別の方向から。  漆黒の法衣に身を包んだ青年が、竜巻に吹き飛んだ門の残骸に腰掛けている。 「……華門」  息を呑む聖羅。村上の一族は更に慌て、ルディは悲鳴を上げ文彦の背後に逃げ込んだ。過去に攻撃を仕掛けた体験、そして今も感じる圧倒的な魔力の強さに恐怖している。術師としての訓練を受けていない小雪でさえ、隠すことをやめた青年の魔力に生理的な拒絶感を抱いていた。美しい青年には違いない、しかしそれはまさしく人外の美に通じるのかもしれない。 「さて、これで犬上の特異点暴走を食い止める鍵の全てが神楽一派に独占されたわけだ。影法師、これは厄介な展開だとは思わないか?」 「本当に厄介だったら、あんたがこんな面倒なお膳立てするわけねえだろ」  ただ一人だけ平然と青年に向かい、文彦は断言する。  青年は最初から全てを知っているのだ。特異点が半年も保たないと気付いた時には、それへの対処法を何通りも考えたのだろう。力任せでそれを解決できるだけの力量を有しながら、それ以外の手段を求め、解答を得ているのだ。  力技での解決方法は、文彦にも幾つか心当たりはある。青年ならばそれを実行できるのも、文彦は理解している。 (霊脈の書き換え、特異点そのものの消滅)  文字通り地形を変え自然の流れに干渉するような行為だ。たとえ特異点の暴走を未然に防げたとしても、そこは人間の居住に適さない可能性さえある。いや、特異点を消滅させるというのは、まさにそういう行為に他ならない。 「これは最大限の譲歩だ。地を残し人を残し、思いつく限り最小の犠牲で最善の結果を得る方法を僕は君に提示したつもりだけど」 「嘘つけ、あんた重要なことを隠してる」  沈黙。 「うん」  あっさりと青年は事実を認め、直後、風を文彦に向けて解き放った。  轟。  ハヤテが放ったものより格段に鋭く強い風が文彦を襲う。村上の山を文字通り崩壊させるような、自然界にあるまじき風の刃だ。速度こそ遅いが、逃げればより多くの被害が出るのは確実である。村上一族は息を呑み文彦を見る。  僅かな間、そして激突。  恐るべき風は上方に弾き飛ばされ、大きなつむじ風となって消えた。文彦の手には、金銅色に輝く一振りの金属棒。古寺の仏法守護者塑像が持つ金剛杵に極めてよく似た、小型の槍だ。大脇差と呼ぶには柄が長く、刀身は両刃で反りがない。梵字は刻まれていないが、大陸の造りを思わせる大胆さと緻密さが随所に見られる代物だ。文彦はそれを左の懐より引き出すと回転させるようにしてつむじ風を弾き飛ばした。いかなる術も行使していないが、その過程で鉛筆程度の大きさだった金剛杵は小槍ほどの長さに拡張している。  どよめきと歓声が共にあがる。青年は満足そうに金剛杵を眺め、 「やはり君の方がそれを上手に扱えそうだ」  と頷いた。 「世に名を残す神器ほどの力はないが、先代の影法師が使っていたその金剛杵、功を焦り野望に我を見失いつつある神楽を牽制する役には立つだろう」  青年は姿を消し、文彦は溜息をつくと金剛杵を懐に消す。 (あの野郎、余計なお膳立てを)  振り返らずとも背中に刺さってくる視線が全てを物語っている。  魂を喰らうもの、華門と呼ばれる術師と親しげに言葉を交わし、その実力を認められたのだ。まして彼が放った術を、それがどれほど抑えられたものか知らなかったとはいえ弾き返した。もちろん波の術師にはできないことだし、村上一族でも無理だ。 「あの、文彦……殿?」 「帰るぞ。深雪、小雪、ルディ!」  聖羅が余計なことを言い出さないうちに、文彦は家族を一箇所にまとめると車ごと転移して消えた。  虚空を掴み文彦を逃してしまった聖羅は宙を泳ぐ指を動かし、やがて拳を握る。 「あの血を一族に取り込む」  一族郎党を前に聖羅は高らかに宣言した。 「異存のあるものはおらぬか」  全員が沈黙を守り、それが彼らの意思を代弁した。  かくして文彦は一族の協力を獲得する代わりに一層の厄介事を抱え込むことになる。