第八話 傀儡遊戯  そこに至るまでには幾つかの条件があった。  器財を入手するための、少しばかりの財力。  使いこなすための、情報収集力。  一緒に使用する相手がいる、社交性。  そして、ちょっとした幸運。  この幸運こそが最も重要なのだと、誰かが言った。 「んな幸運なんて要らねえ」  うっかり幸運に恵まれた少年は、戸籍上の名を村上文彦といった。住民票にも村上文彦と書かれているし、生まれてから十七年間その名前で呼ばれてもいる。術師の業界では影法師と呼ばれているが、そう呼ぶのは敵対する者ばかりだ。 『GUGAGAGAGAGAGA! コレで貴様もおしまいだ、影法師!』 「でい」  パワーショベルとカバが合体した(としか表現できない)異形が哄笑し、文彦は短く息を吐くと異形の足にあたる無限軌道を思い切り踏みつけた。合金で作られた分厚いブレードが健康サンダル履きの文彦によっていとも容易く踏み砕かれ、時速十数キロで迫っていた異形は片方の機動を奪われ独楽のように回転を始める。 「あーっ、合体戦士パワードジャガーノートが」 「呼びにくいし意味もわかんねえ」  異形の向こう側、距離にして十数メートルの場所に小学生と思しき少年が立っていた。背格好は文彦と大差がなく、半ズボンを躊躇いもなく履いていることから中身もそのまま小学生と推測できる。少なくとも文彦は、この少年に関する面識はない。  道を歩いていたら突然この少年に呼び止められ、直後、このパワードジャガーノート(自称)に襲撃されたのだ。それが約三十秒前。問答無用に襲われたので、どう見ても戦車の砲身でしかないグラップルアーム(自称)をへし折り、火炎放射器以外の何物でもないジャイアントノーズ(自称)を叩き潰した。真っ直ぐに動けないパワードジャガーノート(自称)は、悲鳴を上げた直後に転倒する。 「次はてめえだ」 「勝負はまだだよ、ぼくの次のターンはこいつだ!」 「……ターン?」  いまいち了見を得ない文彦の前で、小学生は半ズボンのポケットから銀色のメダルを取り出した。携帯電話にしては玩具然とした小型端末にメダルを投入すると端末が光り、少年は奇妙なポーズで叫び出す。 「アストラル・インサート! 電脳聖騎士・サイバーパラディン」 『雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄ッ!』  地面が輝いたかと思えば、ごてごてしい装飾を身につけた人型異形が出現する。得体の知れない機械が手足に絡みつき、自らの身長より遥かに長い両刃剣を掲げている電脳騎士(自称)。剣を振れば電光が閃き、地面に突き立てるとアスファルトが次々とめくれ上がる。なんとも派手なアクションに、小学生は「いけーっ! 影法師をブッ潰せー!」と腕を振り回しながら嬉しそうに喚く。 「サイバーパラディンっ! 絶刀・雷電螺旋断っ!」 『覇ァ唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖ッ!』  大剣を掲げ、文彦に突進する電脳騎士(自称)。驚きを通り越して呆れていた文彦は、逃げるに十分な時間があったにもかかわらず、その場を動かなかった。  馬鹿馬鹿しくも壮絶なる破壊技をもって突進する電脳騎士(自称)。 『我が剣の錆となって消えよ、影法師!』 「  なんだ日本語話せるじゃねえか」 『ッ!』  剣が届く寸前、文彦は傍らで回転していたパワードジャガーノート(自称)を「ひょい」と掴み、眼前に迫る電脳騎士(自称)の前に放り出す。勢いがつきすぎて回避運動の取れなかった電脳騎士(自称)の刃は、おそらくは同胞であろうパワードジャガーノート(自称)の胴体を一気に貫いた。  煙と電気火花を発し、爆発して消滅する二体の異形。 「そんな、ぼくの……ぼくの最強のアストラルモンスターが!」  よほど衝撃的だったのだろう、小学生は両膝をつき慟哭した。青春の全てを二体の異形に捧げていたかのような喪失感が顔に顕れ、嗚咽さえ漏らして地面を何度も叩く。 「ごめんよ、ごめんよパワードジャガーノート! 許しておくれ、サイバーパラディンっ! うああああああああっ!」  親友が亡くなったように、いやそれ以上の悲しみを口に出す小学生。 「……」 「キミ達を失うなんて、ぼくは! ぼくは何てことをしてしまったんだっ!」 「その前に他人を襲った事への謝罪と償いはどうしたクソガキ」  文彦の冷たい一言に、小学生はぴたりと泣き止む。どうやら泣き真似だったらしい。 「あの」  ははは、と引きつった笑顔で文彦を見る小学生。 「急にバトルを申し込んだのは謝るよ。でも、これってただのゲームじゃん? いちいち目くじら立ててたら長生きできないよ」 「目くじら立てねえと長生きできない性分でな」 「ぼ、ぼくは小学生だぞ! 小学生に暴力ふるったら新聞沙汰になって大変なことになるんだぞっ!」  説得不能と見たのか小学生は尻餅をつきながら後ずさりする。 「警察に言うぞ!」 「生き残れたら言ってくれ」 「ネットで抗議ホームページ立てるぞっ!」 「だから、生き残れたらな」 「IP晒すぞっ!」 「わかんねえよ、それ」  たとえ理解できる脅迫だったとして、文彦にはこの小学生を許す気は微塵もなかった。この少年が明確な殺意を持って文彦を襲ったのは、紛れもない事実だからだ。 「しょしょしょしょ少年法って知ってるのかっ!」 「安心しろ」 「え?」 「異形が絡んだ時点で少年法なんざ意味を持たねえ」  分厚い鉄板を踏み砕いた文彦の足が顔面に近付くと、小学生は意識を失って尿を漏らした。 (殺す気も失せた)  溜息を吐き、文彦は小学生が持っていた端末を拾う。三角四角五角形の組み合わさった図形が、端末にもメダルにも描かれている。メダルは、文彦が異形を封じて得る「封魔の打刻」によく似ていた。 (似てるどころじゃねえ)  そのものだと呟くと、文彦は小学生の襟首を掴んで姿を消した。  ざわざわざわ。 「おはよー」 「ちわっす」 「なんだよ、いつも一緒のメンバーか」 「あれ、楓君は?」 「二組の尾多良さんとピアノの練習だって」「うわー、えっちだな楓って」 「ふうん。まあ三年生になったんだからカノジョくらいいてもいいだろ」 「隣にすんでる畠山のにーちゃん、じゅうななだけど恋人いないよ」「にくだるまと付き合うオンナがいるかよ」 「ぎゃははは」 「なあなあ、それでさ」 「うん」 「学校来る途中で聞いたんだけど、六年生の男子がやられたみたいだぜ」「かえりうちかよ」「レベル低いのに焦ったんだろ」 「だけど噂は本当だったんだね」 「うんうん」 「動き出したときは、ビビッたよな」「おれはへーきだったぞ」 「なにおう」 「別にいーじゃんかよ、おれたち運命の子供ってやつなんだし」 「ぷっ」 「ぎゃははは、そんなのマジで信じてるのかよ」「うるせーな」「だって誰が決めた運命なんだよ」 「……わかんねえ、でもコレはチャンスだろ?」 「……」 「……そうだよな、これってチャンスだ」「マンガみたいだよな」「漫画の方がまだ出来がいいよ」 「おれたち、世界を変える力を手に入れたんだろ」 「経験値、足りないけどな」 「攻略本調べたけど、この地区で一番強いのはやっぱ影法師らしいぜ」 「魔王級の力を持つ魔人だっけ」「全国に十三体しかいないんだよな。レア度、三ツ星って記入されてる」 「倒せるのか」 「レベル上げて、連続技極めたら楽勝だろ」 「属性の相性も考えろよ、ヤツは力押しで勝てねえって攻略本にも書いてたぜ」 「ぼく、裏技知ってる」 「まじ?」「うん。昨日、カラスを倒して食わせたら強くなった」「なんだー」「それなら俺も試したよ、猫や犬食っても同じだぜ」 「ふうん」 「あ、なんか考えてるんだろ」「ぼくも今そう思った」「やっぱり?」 「誰がいい」「佐倉だろ」 「磯尻は」 「駄目だよ、筋張ってて固そうだ」 「じゃあ渡部にしよう」 「センコーかよ」「肉つきはいいぜ」「決まりだね」  授業開始を告げる予鈴。  そして  魔物の大量発生が報告されたのは午前十時を少し廻ったところだった。  犬上駅前の中堅学習塾、小中学生を相手に勉強を教えるその施設が現場だった。 「ああ、考えたくもねえ」  その報せを受けた時、村上文彦は三課の支局で専門職員と今後の検討を行っている最中だった。  予測される事態の内で最悪から数えて三番目の展開に、職員達は普段より二割ほど深刻な表情で「作業」を開始する。  慌しくも無駄なく準備を進める三課職員。  そのような中で通報と共に術師の派遣を要請してきた若い警部補は、床で這いつくばっている小学六年生に気がついた。前日に文彦を襲撃し得体の知れない機械とメダルで魔物を使役した少年は、応接スペースの一角にて「ごめんなさいごめんなさい」を何度も何度も繰り返し、手足をじたばたさせている。  額に貼り付けられた和紙の短冊には、朱墨に毛筆で「女教師玲香・背徳の課外授業」と書かれていた。 「……村上君、これ」  警部補が、見てはいけないものを目撃してしまったかのように、震える手で小学生を指した。 「時代はバーチャルだよ」 「いやそれ回答になってないし」 「他の候補として『男教師・淫靡なる体育用具室』ってのが」 「わーっ、わーっ、わーっ!」  文彦が懐から取り出したおぞましい短冊を奪い、ぐしゃぐしゃに丸めるとライターで燃やす。赤い炎に飲み込まれた紙片が灰になる瞬間、筋肉質かつ油っぽい中年男性の声で「あ、あにぃ……最高だよあにぃ」という呟きが灰皿から漏れてきた。 「  !!」  燃え尽きた灰が盛られた灰皿を蹴飛ばし、何度も何度も踏みつける警部補。  淡々と文彦は仕事の道具を調え、地図を持ってきた三課職員と相談して学習塾への侵入方法を検討する。 「実行犯はできるだけ壊さないようにしてください、情報が不足していますから」  既に壊れてしまった小学生を一瞥し、文彦は「できるだけ考慮する」と短く返す。 「三課は建前上、拷問とかは推奨していないんですからね」 「だったら術師にも基本的人権とジュネーブ条約適用しろよ」  三課職員に聞こえないほど小さな声で、恨めしげに言う文彦。そのまま警部補の襟首を掴むと、二人は文彦の足下の「影」に沈んで姿を消した。  魔物には物理攻撃が通用しない。  それは魔物の危険性と術師の必要性を訴える上で繰り返される言葉だ。手榴弾を使おうがセラミックナイフで貫こうが、魔物の肉体を構成している「エーテル」の本質には何の影響もない。近代兵器を前にする限り、魔物は不死身の肉体を有する。  だがそれは攻める場合の論理である。  守勢に廻った時、人間は魔物の恐るべき能力を再認識する。単純に言えば、力が強い。その上、科学では説明できないような現象を操る。精気も吸収する。攻撃をかわし走って逃げることも可能だが、魔物は「結界」を作って逃げ場を封じることが多い。  術師でもない限り、魔物に狙われたら御仕舞いである。智慧のある魔物が「特異点」を植えつけることもあるが、程度の低い魔物の多くは肉ごと喰らって精気を奪う。魔物が人類の天敵を自称するのもあながち間違いではない。 (だから魔物を兵器として利用する方法が今までに何度も行われていた)  普段は閉鎖されている屋上に現れた文彦は、鍵のかかったスチール製の扉に「影の爪」を数度食い込ませる。全く抵抗なく扉のロック部分が切断され、数センチ四方の金属塊がごとりと床に落ちた。切断面は鏡のようであり、その角は剃刀のように鋭い。  階下では、隠そうともしない妖気の塊が動いている。悲鳴や振動も、コンクリート越しに伝わってくる。 (人間との融合じゃねえ、機械による魔物操作)  それは決して不可能ではないが、効率が良い訳でもない方法だ。非人道的な処置を併用するか、魔術の素養ある人間を必要とする。前者は馬鹿みたいに手間をかけねばならないし、後者は術を教えた方がよほど効率が良い。科学技術にこだわって魔物を操ろうとするのは、現場を知らぬ連中の戯言である。そして今回の事件は、その戯言を誰かが大真面目に実行した可能性が極めて高い。 (誰が?)  誰でも構わない。それなのに妙に意識している自分に気付き、文彦は舌打ちする。術師同士が殺し合うことには何の躊躇もない文彦だが、日本国内では何も知らされていない一般人が巻き込まれることに対しては嫌悪感を抱くのだ。それが偽善的な認識だと考える前に文彦は扉を開け、階下の塾教室に飛び込む。  リノリウム張りの、それほど広くない教室。人型の魔物が数体、ずたぼろになった小学生数名を鉤爪で引っ掛けている。小学校中学年と思しき彼らは、三課で回収分解したゲーム端末を持っていた。  他に人はいない。生徒も教師も他の教室か階下に逃げたのだろう、人と魔物の気配が階下からも感じられた。 「た、助けて」「痛いよ、痛いよママァ」「……ひ、ぐぅ」  血と涙と鼻水と糞尿で子供たちは汚れていた。十体近い魔物達の鋭い鉤爪は皮膚のごく浅いところを切り裂いているので、致命傷はない。もっとも糞尿にまみれているのだから、手当てが遅れれば傷口の幾つかは化膿するだろう。 『限界を超えて使役すれば、我らとて術師の統制より外れるものだ』  魔物の一体が呟き、引っ掛けた小学生を床に放り捨てる。背中より落ちて二度ほど弾んだ小学生は、弾む度に手足や背中が奇妙な方向に折れ曲がり悲鳴を上げた。放置すれば命も危ない重傷だと、胃液と血を吐き出す様が告げている。 『制御できなければ、それは死につながるものだ』  魔物は文彦の到着を待って、その上で手加減した一撃を小学生にくらわせた。スチール製の椅子や机がズタズタに引き裂かれて転がっているのだ、それだけの力を有する魔物なら人間の子供ひとり惨殺することなど造作もないことだ。 「殺さないのか」 『君が望むのなら』  魔物は小学生より奪った端末から数枚の銀貨を取り出し、文彦に差し出した。それらが魔物の封印であることは、既に判明している。召喚主とも言うべき小学生達が死ねば魔物もまた封印に逆戻りすることを理解し、文彦はそれを受け取った。 『我々にも主を選ぶ意思はあるし、影法師たる君に伝えたいこともあった』  別の魔物が端末を叩き壊し、その中から出て来たセラミック製のプレートを文彦に見せた。銀のメダルに刻まれたものと同じ意匠のプレートは、術師である文彦には馴染みの深いものだった。 「術式を刻んだ石板か」  魔術の力を込めた符は、人類の魔術研究における数少ない成果である。  文彦が魔物封じに使用する銀牌も一種の符であり、このプレートも似た様式だった。違いがあるとすれば、石板には術式をまとめあげるための力が込められていないということだ。魔物使役の術式を発動させるためには、魔力の素養ある人間が使用する必要がある。 「人形姫計画の遺産だな」  資料を通じて知っている、忌まわしい実験の名を口にして文彦は納得した。ここ数年間現役の術師ならば、いや業界について少しでも情報を有している者なら誰でも知っている事だ。それは魔物を兵士として利用する上で最大の成果を挙げた計画であり、その存在を中途半端に知った「命知らず」が参考にしても不思議ではない。 『ただの人間が魔を操るなど馬鹿げた話だが、素養ある者を炙り出すには十分役に立つ。我々は術師の危険性を最大限煽ると共に  』 「術師の素養を持つ子供を始末するか」  魔物は無言で肯定の意思を示した。文彦は足下で倒れている小学生の影を引きずり出し、傷を埋めるように影を被せていく。以前ベル・七枝の肉体を再生したように、小学生達の負傷は消滅する。 「今はおれが主だ」 『御意』 「下の奴ら片付けてくるから、この餓鬼ども逃げ出さねえよう拘束してろ」  つまらなさそうに文彦は床を蹴る。影の刃を走らせた床は円形にくりぬかれ、文彦はそのまま階下に飛び降りた。  生徒の多くは避難を完了したと、三課職員と警察からの連絡があった。 「つまり全部じゃないってことか?」 『負傷者と拘束者の収容は済ませたが、体験入学の生徒がひとり行方知れずらしい』 「確認しろよ」 『生徒の名簿とかは全部、魔物が灰にしたとさ。点呼取ろうにも講師が真っ先に餌食になったんだ、意識不明の重傷者に無理強いはできん。状況を見て臨機応変に対処してくれ』 「あー。つまり、いつものようにって事だな」  後方支援の体制も十分に整っていないのだろう、錯綜する情報に頭を抱えながら村上文彦は携帯端末をポケットに突っ込んだ。  目の前には、戦意を喪失した魔物が数体。  いずれも身体の各所に小さな拳ないし靴跡が、これでもかと言わんばかりについている。美丈夫である一体の尻にはモップの柄が突き立てられ、美女の姿をした魔物は頭からブリキのバケツに突っ込まれていた。他の数体も似たようなもので、額に「にく」と書かれたものさえいた。  無残といえば無残である。  前衛芸術家ならば何かを感じ取るかもしれないが、美術の成績がとことん悪い文彦にとってはオモシロ状態にしか見えない有様だ。間違っても文彦の仕業ではない。 (単純に考えれば、この惨状を引き起こしたのは「逃げ遅れたガキ」ってことなんだが)  にわかには信じ難い現実に、文彦はしばし沈黙した。  自我が崩壊しかかっているそれらの魔物は、単体で評価しても決して弱い存在ではない。三課で訓練を受けたばかりの新人なら、まず逃げた方が良いレベルだ。特殊装備を携行していない警官などどれほど動員しようと餌以外の意味はない。  術師として素養ある子供を始末させるために手配された魔物だから、魔術師への対抗能力もある。そういう魔物と対峙する時は、実戦慣れした術師でも油断できない。才能に恵まれようとも、覚醒直後で訓練を受けていない術師は素人と大差ないのだ。  端末に仕込まれた「プレート」の術式を使いこなすことができれば、あるいは退治することも可能だろうか? 文彦は僅かな時間それを検討し、即座に否定した。 (……このプレートには「オリジナル」のような力は無い。精気を魔力に変換して術を行使する、効率無視の粗悪品だ)  どれほど石板の力を引き出しても、これでは小学生程度の人間が魔物を倒せる道理はない。それを見越して端末は製作され、子供たちに与えられたに違いない。  ならば、どのように?  悲惨な魔物たちを封じながら、文彦は思考を整理することにした。 (仮説その1、オリジナルの石板が紛れ込んでいた)  だとすれば魔物の被害はこの程度ではない。建物の破損も小さすぎる。文彦はその考えを否定した。 (仮説2、おれ以外の術師が侵入して片付けた)  ありえない話ではないが、正式に依頼を受けたのは三課であり文彦だ。助成するなら連絡は来るし、邪魔しに来るなら魔物を傷つける必要はない。誰かが文彦の仕事を横取りしたとしても、魔物を封印もせずに放置する理由が見当たらない。 (仮説3、やっぱり逃げ遅れたガキが化物より強かった)  わざわざ三つ目の仮説にまで引き伸ばして最初の回答に至り、文彦は嘆息した。  魔物の顔にくっきりと残った靴跡は、どう見ても小学生のものだ。それも、十歳以下としか思えないほど小さな靴。拳の跡も、文彦より一回り以上小さい。  それが。  えげつなくえげつなくえげつなくえげつなく、魔物たちの全身を蹂躙していた。靴跡は一種類しかないのに、集団リンチを行ったような惨状である。無抵抗主義者とて、ここまでされる前に逃げ出すだろう。  文彦は考えてみた。  そういう真似ができそうな「子供」というのは、実のところ心当たりがある。子供の姿を真似て変身するものを含めれば、片手に余るほどだ。それらの該当者の中から状況を考え、少しずつ候補を減らす。事件の規模、時間帯、前後数日に発生した事件の状況。  消去法の結果に、文彦はうな垂れた。 「景雲?」  顔に手をあて、文彦は呻く。 「これ、お前の仕業だろう。怒らないから出てこい」  声は小さい。  聞こえないという可能性もあったが、反応は早かった。 「……ふみひこかっ?」  教室の片隅に山積みにされていた椅子が、がらがらと崩れる。中から現れるのは、文彦より頭一つ分小さな男の子だ。瓦礫に引っ掛けたのか衣服の何箇所かが破れ、顔や頭に埃がついている。それでも身体のどこにも怪我はなく、怯えてもいない。 「やっぱり、ふみひこだっ」  少年は嬉しそうに文彦に駆け寄ってくる。文彦は自分の予測が正しかったことに少しばかり満足したが、それ以上に少年の暴れっぷりを再確認して頭を痛めた。  千切れかかったシャツの胸元には、やけに達者な字で「二年三組 百瀬景雲」と記された名札がぶら下がっている。  百瀬景雲は、桐山沙穂と同じく体内に「特異点」を抱えた少年だ。しかし景雲は一般人のように特異点の暴走に身体を壊すこともなく、また沙穂のように暴走した特異点に支配されることも無かった。一般市民として生活できるよう三課や文彦が魔術的処理を施しているが、感情が昂ぶったり生存本能が強く出るとバケモノじみた身体能力を発揮する。 「たいへんだったんだぞ、ふみひこっ」  大げさに手足を振り回しながら、景雲少年は自分が体験したことを説明しようとした。 「よねんせいのばかどもが、いきなりバケモノをよびだしたんだよ。せんせいはかじられるし、みんなをにがすのでせいいっぱいだったんだ」 「あーあー、その辺はなんとなくわかる。よく頑張ったな」 「えへへへっ」  半分投げやりに頭を撫でると、景雲は嬉しそうに顔を真っ赤にする。 「それで、おっちゃんにかってもらったふでばこさがしてたんだ」  机の下から探し出したのだろう、テレビアニメの主人公をプリントした大きなペンケースが景雲の手にあった。それを大事そうに持ちながら、文彦に見せる。 「やっぱりさ、ぼくはじゅくはにがてだな」 「おれも得意じゃない」  報告書にどのように記せばよいだろうと考えながら、文彦は景雲の手を引いて階下に向かうことにした。  事件そのものは、建物の部分的老朽化に由来する火災ということで片付けられることになった。  魔物を目撃し襲われた人間の多くには 「内装に使われた有機溶媒を吸い込んで酸欠を起したため、幻覚に近いものを見たかもしれません」  と当たり障りのない説明がされ、しばらくの間入院してもらうことになった。入退院を含むそれらの手続きは三課の得意とする分野であり、警察の協力もあって迅速に処理された。  一方で。 「本部は何て言ってきたんだよ」 「同じことの繰り返しです。例の携帯ゲームでバケモノを呼び出した子供を寄越せと。本部に連行し、思想教育と共に訓練する気みたいです」  不快を隠そうともせず三課職員は呟いた。  おそらく事件の本質を理解していただろう三課本部の急進派が、手駒を増強するべく素質のある児童を集めようとしているのだと説明する。 「犬上市は市内で地脈霊脈が交差している特異点都市ですからね、素質ある子供の比率が他所より高いのは既に知られています」  返事をできるだけ遅らせているが、そうなれば本部から直接人が派遣されるでしょうとも言う。  文彦が最終的に拘束した「素養ある子供」の数は十名近く。これはあくまでも事件を起した子供の数であり、没収した端末の数は数百に達していた。本部は他の子供たちについても素質の確認を命じたが、文彦は人手不足という理由でこれを拒絶していた。 「んな阿呆な命令を出したのは、どのルートだ」 「神楽査察官経由です」  即答する声が緊張で震えている。職員は忌まわしいものを口にしたかのように、周囲を二度三度見た。  神楽査察官。  彼は三課における異形殲滅派の急先鋒であり、徹底した人間至上主義者で知られている。犬上支局を指揮しているのは穏健派の屋島査察官だが、特異点都市のひとつである犬上市に度々干渉する神楽査察官とは対立している。 「突っぱねられないか」  文彦は、縛られて支局施設に拘置されている小学生達を一瞥して言った。彼らの額には紙片が貼ってあり、そこに書かれた文面は音読するのが躊躇われる内容だった。  三課職員は首を振った。 「術師の慢性的不足は本部でも常に議題に上っています。既に覚醒している人材がいるのなら、穏健派の屋島査察官でも似たような命令を下しますよ」 「育つかもわからねえ人材を誘拐するくらいなら、手持ちの兵を一騎当千の強さに仕上げるのが英美さんのやり方だろ」  文彦の知己である屋島英美査察官は旧いタイプの術師であり、同時に穏健派である。 「英美さんに連絡つかないのか」 「拘束した連中の顔写真送ったら『好みじゃないから任せる。テキトーに』と伝言が」 「……」  三課職員の笑顔が凍りつく。  文彦の顔も似たようなものだった。 「こういう時のために悪知恵袋を雇っているんじゃないのか」 「パトリシア博士は今月三度目の生理休暇です」  沈黙が生じた。 「まあ、あのマッドドクターなら月に三回くらい排卵日があっても不思議じゃないか」 「ですね」  真顔で頷いた職員と文彦は、大きく大きく息を吐いた。 「それで、問題のクソガキどもは連行されたんですか?」  ベル・七枝は冷えたフルーツ牛乳を片手に尋ねた。  本部から一時的に派遣された若手術師を相手に、魔術体術を組み合わせた実戦形式の訓練を終えてきたところだ。 「  ああ、魔術能力を吸収封印されたんですね。再び覚醒することのないよう、その種の行為への恐怖衝動を植えつけて」  牛乳瓶の端を噛んで支え、手早くバスタオルを身体に巻きつける。髪も同様に処理し、スリッパをつっかけた。 「でも目論見が外れて神楽査察官も大変ですね。あの人って部下に恵まれていないから数で勝負するしかないのに」  返事は無い。  汗だらけの胴着や下着を洗濯機に放り込み、ベルは脱衣所に振り返る。  浴室のシャワーは今も熱い湯を噴出しており、立ち上る湯気が脱衣所にも漂っていた。湯がタイルを叩く音が反響するが、これに紛れてか細い声が聞こえてきた。 「……しくしくしく」  それは文彦の声だった。  素っ裸の文彦は浴室タイルの上に突っ伏しており、首筋には防水処理された符が貼られ、痺れ薬を含んだ吹き矢が刺さっている。符には「緊縛」の二文字が記され、指一本動かせない文彦はぐったりとしたまま滂沱の涙を流していた。 「……えぐえぐえぐ」 「さすが屋島査察官謹製・緊縛絶倫符」  つやつやになった肌を鏡で確認すると満足そうに頷き、ベルは自室に戻る。  数時間後。  風呂場に放置された文彦はひどい風邪をひいて寝込むことになる。その看病の際に想像を絶する惨劇が文彦を襲うことになるのだが、それはまた別の話。