七章〜楽園と魔女  樽のような魔人が、そこにいた。  樽という表記は、樽に失礼かもしれないが。限りなく球に近しい胴体に、短い手足が生えている。首の存在が確認出来ない頭部はやはり小ぶりで、ハンプティ・ダンプティをより卑猥なものにしたような、そういう不快感さえある。  それが数百人。あるいは、千人以上か。  あるものは鍋を振るい、あるものはひたすら喰い、あるものは眠り、あるものは自己の生誕をとことん呪い、あるものはあらぬ妄想を形にせんと紙にペンを走らせ、あるものはわけもなく空を見上げている。  着ている衣服以外に見分ける術があるとすれば、額に書き込まれた文字と数字。樽魔人たちは、そこが自分達の定位置であるかのように、砦の隅っこの暗くじめじめした場所にいた。自虐的なユーモアを口にするたびに樽魔人たちは口や耳から血を流し、ひょっとしたら脳漿に近い液体も垂れ流す。そのくせ数瞬後には立ち直り、同じことを繰り返す。 「顔見知りに、よく似てる」  魔法猫と共に砦に入った村上文彦は、樽魔人を一瞥し、悲鳴を辛うじて飲み込んだ。ゴシップ好きで得体の知れない同級生を思い出しつつ反射的に攻城級の攻撃術式を連発したくなったが、その程度の術では滅びそうな相手には見えない。 『樽魔人がであるか』  見たまんまの名前かよ。  魔法猫の説明に、脱力する。  半世紀ほど前。攻め込んできた神々の軍勢と、珍しくも作法を取り決めて合戦を試みた時、足りぬセップ島の軍勢を埋める頭数にと雨後の筍のごとく現れたという。頭数を揃えるための魔人なので戦う力などまるでなく、無意味なまでの回復力だけが自慢だとか。上手に両断すれば、どちらも再生を果たす。樽魔人はそうして半世紀の内に数を増やしていったという。 「燃やしたら」 『分厚い脂肪に火がついて、とても臭いのである』  つまり試したわけであると、魔法猫達の物騒な言葉。ちなみに十歩先を歩くシュゼッタの周りに沢山の樽魔人が群がり、猥褻物陳列罪適用寸前の崇拝行為をしていたが、猫も文彦も無視を決め込んだ。  早朝の挨拶は『ひうっ、こんなの入らないよぉっ』だった。  昼時の挨拶は『ひ、広がっちゃうっ』で。  夕飯の挨拶は『ダメなの、もうっだめなのぉぉっ』となった。  いずれも千を越える樽魔人が、胴体を震わせながら感情を込めて、砦のあちこちで挨拶を交わしていく。一見すると礼儀正しく。しかし生物学上雌に分類される生命体は彼らに近づこうとはしない。 「おれも近付きたくない」 『邪悪生命体なんだから好き嫌い言わない』  魔法猫が文句をつけてくる。文彦ならば素敵な打開策を持っているかもしれないと、一縷の望みを託していただけに失望も大きい。文彦に話しかけようとしたシュゼッタは、今は軍議の真っ最中である。彼女がどういう扱いで砦に居るのかはわからないが、樽魔人ならずとも砦に集う魔族や魔法猫たちの信頼を得ている事は間違いないようだ。 『そりゃあ、もちろん』  思考を読み取ったのか額に「は4号」と書き込まれた樽魔人が、転がるように前進しながら文彦の知りたかったことを伝える。 『赤帝巫女として認定を受けた二人目ですからね、シュゼッタ王女は。彼女の存在は我々の希望なのです』 「最終兵器扱いかよ」 『膝上まで覆う靴下に、短めのスカート。僅かに覗く絶対領域はあくまで白く、健康的な色気を発揮しています。控えめに膨らんだ乳房も、綺麗な鎖骨も、束ねられ緩く編まれたた真紅の髪も、全てが戦いに疲れ果てた我々の心を癒してくれるのです』 「劣情も満たしてそうだな、その調子だと」 『はっはっはっは』  笑顔のまま樽魔人が逃げ出そうとしたので、文彦もまた笑顔で足る魔人を蹴り飛ばし、周りは一斉に拍手した。  人。  魔族。  魔法猫。  陸生烏賊。  それから鯖。  砦に入る前に出会ったのは、そういう連中だった。土塁で壁を補強し、三重に区切られた丈夫な石の門を潜り抜けて至った砦の中で、別にある雑多な種族も集っているのだと理解した。現在のセップ島がどれほどの人口規模なのか文彦は知らないが、戦うものだけで万をはるかに越える軍勢が砦に居るのだと士官の一人が説明してくれた。 「地に根付くことを求めてきた神々の崇拝者を受け入れれば、十万に達するでしょう」  十万という言葉に、文彦は少々固まった。  とんでもない数だ。  人間が十万人でも、相当の問題がある。一瞥してみたところ、人間より巨大な生き物は全体の五割に達している。 「兵站は」 「人間の不便さを思い知る日々です」  魔法猫や魔族は、必要なものを自身の力で生み出す。烏賊や鯖は、そんなものを必要としない。人の軍勢は、彼らの余剰分で武器防具を調え兵糧を得ているという。人の軍勢を長期にわたって動かせるほどの余力が、セップ島の国々にはない。 「国々には、城門を閉ざし、持てる兵と食糧を自衛に費やすように伝えてあります」 「ふん」  人外の敵を相手にするなら、人という種を残すことが重要になる。人外の敵と戦うべき種族がいる以上、個体による戦力差が大きい人間は足手まといの側となる。 「では、砦にいる人間てのは傭われ兵か」  戦うことで身を立てるものは、セップ島にもいる。外敵となる怪物や怪異が多く、作物を狙う獰猛な動物も少なくない。もちろん、非生産的な犯罪者が起こす数々の惨劇は、人々の頭を悩ませるものである。総数は決して多くないものの、その種の職業が成立している事は間違いない。かつて文彦が五年間滞在した時も、雇われ兵として野猿の群れや猪を退治したことがあった。規格外の巨獣を相手することの方が多かったが。 「いいえ」  士官の一人が、引きつった顔で首を振る。 「彼らの大半は、この戦いを生き残れば処刑を免れる立場にあります」 「使い捨て前提の用兵かい」 「そのように考える国も、残念ながら」  魔物や魔法猫で構成された軍勢の中で、人間の軍隊がどれほどの意味を持つのか。少なくとも銃火器を持たず、魔法にも長けていない槍兵や弓兵を揃えても……陸生烏賊のレーザー掃射で存在意義を否定されることになる。  もっともそれは、敵対する軍勢の兵士にもいえるのだが。 「使い捨て前提の兵士には、食糧や武器は勿体無いか」 「そう考える国も、あります」  過去に攻め滅ぼした小国の残党をかき集め送ってきた国もある。 「あんたは、違うようだな」 「今まさに攻め込まれている国は、全力を尽くさねば滅びますので」  そりゃそうだと文彦は苦笑した。  砦として提供されたのは、城塞都市を改築したものだ。魔法猫の計らいにより女子供達は近隣の友好国に輸送され、半ば廃墟と化したこの広大な城塞都市は敵を迎え撃つための砦となった。 「神々を迎え撃ち、この街に封じ込めるために皆が集ったのです」 「相手が神なら、まあ勝てるかもね」  事実を文彦は口にした。  だが相手は神ではない。第一帝国を称する連中の他に、世界を生み出したはずの者が、敵として潜んでいる。それは、あの能天気な魔法猫や陸生烏賊たちさえ絶望させるものかもしれない。  軍議と呼べるほどの話し合いは数分と維持されなかった。  破壊能力と性質を考えれば、存在そのものが戦略兵器と呼ぶに等しい陸生烏賊たちの戦闘思考は、きわめてマクロな視点に基づいて行われる。  セップ島南部の草原に位置する城砦都市の攻防なのに、烏賊たちは世界地図を持ち出して部隊の展開を本気で述べていた。なるほど惑星の裏側からでも光線を照射し、しかも威力の減衰がほとんど起こらないという非常識な連中だけはある。その場に文彦がいれば「ちがう、そんなんレーザーちがう」と涙を流しながら抗議したに違いない。が、人間の軍勢は大地が平坦であると信じており、そもそも光が直進するとかしないとか、そういう水準での議論さえ成立しない相手である。  魔族や魔法猫は、烏賊や鯖に比べれば限られた領域で戦うことを前提とした攻撃方法を有している、しかし視界内の全てに到達する攻撃手段を主に使う彼らの戦の組み立て方は、人類の知識技術を超越している。なにしろ投石器と石弓以上に超射程の武器を持たぬのだから、人間の軍隊はそれを前提に戦い方を組み立てている。 「だから、話にもなりません」  議長として場を預かることになった若者、城塞都市の新しい主として赴任したばかりの青年貴族は何度目になるのかわからない、全面降伏の言葉を口にした。 「目的は一致していますよね」 『神々の軍勢を退ける』  烏賊が頷く。 「太陽神と、その崇拝者達が我々の敵ですよね」 『そうだ。太陽の息子を名乗る十一名の神性と、八百を越える眷属と、五百騎の鉄兵、二千の石兵、そして騎兵を含めた三十五万の軍勢』  鯖が鱗を輝かせる。烏賊に張り合おうとしているのか、それとも好戦的な種族なのかは定かではない。円卓を囲んで向かい合うように着席しているのは、 迂闊に隣り合わせると喧嘩を始めてしまうからである。間を詰めているのは樽魔人で、彼らの分厚い脂肪は鯖ビームの直撃を一度だけ防ぐことができることが既に実証されていた。 「我々は、勝てますか」 『向こうが負けを認めれば』  狐面の娘が、凛とした声で返す。魔族と魔法猫は、太陽神の軍勢と既に交戦し、何度も撃退している。何度も撃退しているのだが、彼らは何度でも体制を整えて侵攻を繰り返す。 「彼らは戦力を小出しにしていると?」 『倒したはずの敵が復活しているのである』  冷ました茶をすすり、魔法猫の王は呻く。 『亡者の類には見えぬであるがなあ』  不思議そうに何度も首を傾げる魔法猫。烏賊と鯖は樽魔人を蹴散らすのに成功し、狐面の娘は若い王と共に軍議の場より逃げようと、扉を開ける。  そこに立っているのは、シュゼッタである。 『やはり我らだけでは話が進みません』 「そうね」  狐面の意見に、シュゼッタも頷く。 「そのために文彦が呼ばれたのよ」 『邪悪生命体であるか』 「私が呼んだわけじゃないけどね」 『我も呼んでない』  かつて文彦を召喚した魔法猫は、寂しげな顔のシュゼッタをちらと見ながら、そう言った。 『シュゼッタが呼んだのではなかったのか』 「まさか」  さも意外そうに、シュゼッタは驚いて見せた。  烏賊と鯖が地平線の向こう側に得体の知れない破壊光線を発射している。  そろそろ忘れかけた高校理科の教科書内容を正面から陵辱するような怪現象が、目の前で繰り広げられている。  地平線の向こう側に敵がいる。  それは、わかった。紙兵の鳥を飛ばし、確認も済ませている。増幅される魔術感覚は、そこにセップ島の住人とは異なる質の生命を感じ取っているのも事実だ。進軍準備を始めようとしている「第一帝国」と思しき連中は、彼らの主兵装である石兵や鉄兵を繰り出そうとしているのを、文彦は紙兵を通じて感じ取っていた。  それを、だ。  陸生烏賊のレーザーは地面と平行に進み、湾曲しながら石兵たちの四肢を切断した。鯖のビームは、非武装の兵士を除き戦闘の意思ある兵士を次々と撃ちぬいていく。逃走する者には傷をつけず、である。城塞都市の外壁を破壊すべき攻城兵器の数々は瞬時に破壊され、そのくせ兵糧を蓄えたと思しき天幕は無傷に済ませている。  精密射撃、精密爆撃もここまで来れば喜劇の領域である。  安っぽいロボットアニメで主人公メカが数百数千の敵機を精密射撃して無力化する場面を、文彦はなんとなく思い出した。それに近い芸当を、烏賊と鯖はやっている。競い合うように、より精密に、より容赦なく。 「三課の連中には、話せねえな」  見てきたものをなんと報告すればいいのだ。超古代の封印兵器でも、異星人の侵略兵器でもない。セップ島に発生した生物が進化の過程で獲得した能力が、たまたま出来の悪いスペースオペラの破壊兵器に近しい性能を発揮していると説明すればいいのか。  恐るべき獣。  彼らは、そう呼ばれている。魔術でも魔法でもなく、しかし一挙一動が自然法則を超越した現象を起こす。彼らが一度行動を起こせば、第一帝国が総力を挙げても止めるのは難しいだろう。少なくともこの世界で戦う限り、石杜の連中でも陸生烏賊や鯖を敵に廻すのは得策ではない。彼らがエーテル王国の開発した生体兵器ではなく自然発生した生物種であるという事実は、どれほどの議論を尽くしたところで受け入れがたいものがある。かのパトリシア博士でさえ、この光景を見て卒倒しない保証はない。卒倒しなければセップ島への移住を熱烈に希望しそうだが。 「最初から連中に任せれば、楽に片付いたんじゃないのか」 「彼らの力を借りるのは、本命の敵を相手にする時に限定したかったのよ」  軍議を終えたシュゼッタが、無表情に言った。若い領主と狐面の魔族の娘、それに魔法猫も一緒である。魔法猫ファルカ王はここからが軍議の本番であると言わんばかりに小さな円卓と椅子を、文彦の前に出現させた。彼らは文彦の了解を得る前にそれぞれの席に着き、空いた一つの椅子と文彦を交互に見る。  座れ、と。  尋ねるまでもなく、そういうことだ。文彦としても異論はなく、冗談のような精密攻撃を続ける軟体動物と魚類の間に設けられた椅子に腰掛けた。 「太陽神の軍勢を派遣したのは、第一帝国を名乗る連中」  石杜にて聞かされた情報を、改めて口にする。若い国王は、聞きなれぬ名に怪訝な顔となる。 「どのような国ですか」 「どこにでもある国だよ」短く答える文彦「よその世界まで侵攻する力を持って、その通りに行動してる。違いがあるとすれば、連中は侵略先の世界をマノウォルトに沈める行為を躊躇しない。むしろ、そうして生まれる因素の結晶が連中の狙いの一つかもしれない」  言って、文彦は思考の枷を僅かに緩めた。セップ島に来たことで世界そのものに干渉してしまうほど増幅された思念と魔力は、自らの思考や記憶を周囲の人間に伝えてしまう。術式でそれを半ば強引に閉じていた文彦だが、それを一部だけ解いたのである。  放ったのは、アキラが覗くことのできなかった領域の記憶だった。  かつて石杜に放り込まれ、七日七晩をかけて戦い続けた際の情報。美化も劣化もしない、あまりにも強烈で悲惨な記憶である。マノウォルトと呼ばれるもの、獣の王と呼んでいるものを伝えるために、文彦はその記憶を円卓の周囲に限定して解放した。  沈黙が生じる。  瞬時に理解するには多すぎる情報は、思考の強制中断を招く。嘆息し、封印を元に戻した文彦は己の推測を口にした。 「あの魔女は第一帝国の連中の本質を理解した上で、この世界への侵攻を許可している」  セップ島に再度召喚された時、文彦を閉じた世界に招いた女を思い出し、円卓に肘をつく。面倒な事態だと分かっていて、あの女が、魔女アナスターシャと名乗った存在が文彦に求めた内容を思い出し、頭をかく。 「マノウォルトを滅ぼし得る力を、この世界に根付かせようとしている。獣の王に近しいものを生み出し、あるいはマノウォルトを滅ぼせるような力を欲している」  赤帝を招いた事は、その顕著な例なのだろう。確かに赤帝は、獣の王に属しない存在でありながら、マノウォルトにとって天敵に等しい。 「あるいは」  言葉を区切る。  それを語るのは、とても恐ろしいことだ。だが、前にその仮説を口にしたとき、あの魔女は激昂した。 「この世界は獣の王の加護より外れている。理由は知らない。だが、この世界を維持するためには十二の因素を司る獣の王が必要」 「影法師、あなたは獣の王の作り方を知っていますか」  衝撃より立ち直った若い王の目は真剣だ。  それが戦いを終結させる鍵となるのであれば、迷う必要はない。だから文彦は「知っている」と答えた。 「どうやって、生み出すのですか」 「割と簡単だよ」  簡単なだけに残酷だと断った上で、文彦はシュゼッタを一瞥し、それから若い王に向き直った。 「十二の因素いずれかを帯びて、その指向性を持たせたままマノウォルトにすればいい。運が良ければ世界が壊滅する直前でマノウォルトは獣の王になる」  彼らの頭上で、白銀に輝く猛禽が啼いていた。