二章〜石杜学園  魔術は万能ではない。  理屈の上では時間を遡ることも不可能ではないが、現行の技術では恐ろしく効率が悪い上に不確かである。万が一にも効率の良い方法が示唆されたとして、実行するには制約が付きまとう。つまるところ術師に何ができるかという問題は、その力量と状況に左右される。  魂が無事なら灰から蘇生できるものもいれば、傷を塞ぐ際に太めの動脈と静脈を誤ってつなげてしまい惨事を招くものもいる。駆け出しの術師が人ひとりを術で殺そうと詠唱を完成させるよりも、気の触れた主婦が奇声を発しながら出刃包丁を何度も振り下ろした方がよほど早いし確実だ。もっとも、半霊半物質である異形に打撃を与えるためには魔術以外の手段はあまり有効ではないわけで、出刃包丁以下の性能を発揮できない駆け出し術師でも異形退治という業務に絞ってみれば艦隊一つよりも役に立つ。  魔法、即ちこの世界とは異なるルールに縛られた相手に、この世の理だけで押し通すのは難しい。 「だから優秀な術師は多く確保したい。より優れた術師を、より多く」  村上文彦が消滅した場所に、華門と呼ばれる青年はいた。  ほんの数分前。文彦が消えたように、空間を飛び越えて現れた華門は短く 「だるまさんがころんだ」  と呟いた。  呪文ですらない、馬鹿馬鹿しい言葉遊び。それなのに、三課の職員はもちろん名家の長達に至るまでもが硬直し、動けなくなったのだ。  彫像と化した長達をそのままに数秒をかけて現場を一瞥し、拍手気味に掌を打ち合わせると、周囲の硬直は解け彼らは倒れこむように着席し、あるいは華門の姿を改めて視界に捉えて悲鳴を上げる。 「挨拶は結構、そちらが現実を認識する時間も惜しいので勝手にやらせていただく」  指を鳴らせば、華門と同じように現れる、女子高生三名。彼女達は着地するや会議室の中を縦横無尽に走り回り、程なく虚空の一点を指差した。 『ここです。空間どころか時間軸まで歪んでます』『赤帝の力、この角度から吸い込まれてます』『お父さんの匂い、この辺からする』  三者三様の理屈ではあるが、指摘する場所は同一である。  華門は頷きもせず、刃のついた錫杖を振るう。極限にまで圧縮した力がごく薄い光となって刃に乗り、輝跡さえ残さず一点を二度刻む。傍から見れば滑稽な瞬間ではあるが、次の瞬間に室内に突風が発生したとなれば話は別である。  風は、部屋の一点に向かって吹いている。  華門が何かを切ったのは間違いない。真空による突風ならば一瞬で終わるが、これは吹き続けているのだ。風はどこかへと続いている。  どこへ?  長や三課重鎮達が驚く中で、女子高生の一人、金剛寺晶が突風の中心点に手を突っ込んだ。彼女の腕は肩口まで消滅し、同時に突風は止む。 (空間の穴に……手を差し込んだ?)  なんという非常識。  空間とは、そういうものではない。転移術を知る長の多くは、目の前で起こっていることを信じたくはなかった。華門がやって見せたこと、晶がやろうとしていることは、彼ら術師の理論をある意味で覆し否定するものなのだ。  この世界の在り方を超越した業である。しかし華門と女子高生達はそんな長達の驚きなど意にも介せず、淡々と作業を進めていく。 『目標、捕捉。正規の路から外れた場所なので直接つなげました』 「妨害は」 『第一世界の侵攻を受けている上に、内側から加速時結界張ってます』 「内情を調べるまでは結界は維持、干渉は最小限で。三秒後に追尾した目標を座標ごと切り離して逆召喚」 『二、一、零。摘出』『座標切り離し確認』『結界に異常なし』  現れてからここまで、僅かに一分。  凛。  消えた時と同じ法円が現れ、直後、村上文彦は帰還した。  身体を奇妙な方向に捻る、芸術的な関節技を喰らった状態で。 (おお、なんて見事なオクトパスホールド)  カールゴッチ直伝、通称アントニオスペシャルこと卍固め。本職の格闘家でさえ此処まで見事に再現出来ないであろう水準で、小柄な少女が文彦相手に披露していた。 「……」『えるふ耳だ』『エルフ耳ね』『……さすがはお父さん、手が早い』  突っ込むところが違うだろ。  周囲の長たちがその言葉を飲み込んだのは言うまでもない。  耳が尖っていたからといって、総てがエルフというわけではない。  小人だって悪魔だって耳は尖っている。エンタープライズ号に乗っているバルカン星人だって耳が尖っているが、彼はエルフとは呼ばれたりしない。  その理屈で考えれば、変型オクトパスホールドからアタル版マッスルスパークを経てロメロスペシャルに流れていった変態的かつ芸術的なプロレス技を披露した異界の少女は、果たしてなんと呼ぶべきか。 「痴女?」 『たぶん痴女』『技のセレクトが特にアレというか』『お、お父さんを放しなさいッ!』  唯一まともなリアクションを見せた晶が文彦もろとも少女シュゼッタにドロップキックを食らわせ、文彦はとりあえず解放された。マッスルスパークのあたりでギブアップを連呼していたにもかかわらずロメロスペシャルで締め上げられたため、術師としては国内有数の実力者であるはずの影法師は悶絶していた。晶のキックがトドメを差したと傍観者の屋島英美は判断し華門を見れば、視線に気付いた華門たる青年も重々しく頷いた。  動揺を隠せない、名家の長達。  文彦の力は自分達でもよくわかっている。その文彦がなすがままというシュゼッタは果たして何者なのか。 「痴女ちがう」  燃えるような真紅の髪を後ろに流し、紅の瞳のシュゼッタは胸を張る。揺れるのは髪だけで、胸は微動だにしない。 「フミヒコは私に生きる術と戦う術を教えてくれていた。それは彼と私の間で交わした約束だし、彼は私たちと一緒にいるしかなかった」 「貴様もその口か」  シュゼッタの偉そうな宣言に、深くふかく息を吐き突っ伏す英美。文彦を補佐するために派遣したベル七枝も、近頃三課に登録された桐山沙穂も、文彦が養い子として申請書を送って寄越した晶も。 「致命的な環境に追い詰められた奴が親身になってくれた異性に対して抱く感情は、信頼と恩義だ。恋愛ではないから錯覚するな!」  自分が文彦を庇った時に寄せられたのはあくまでも信頼と恩義の域を越えなかった英美が、尋常ならざる気迫を込めてシュゼッタを睨む。横で村上家の長が滂沱の涙を流し、三課の重鎮が胃の辺りに手を当てて苦しげに呻いていたのは、華門も英美も見ないことにした。 「だから、くれぐれも君が文彦の恋人だと思わないことだ」 「当たり前だ」  即答するシュゼッタ。  心なしか強張った貌で、真っ直ぐに英美を睨み、俯いた。 「フミヒコは、死んだ赤帝の巫女を今も愛している。それに、私は咎人だ」  誰かに好きになってもらえる資格などない。 「……ここがフミヒコの故郷なら、私と共にいる必要はない。私はセップ島に帰りたい」  気持ちよいくらいに意識を失っている文彦の頬に一度だけ触れ、自分を取り囲む三人の女子高生に向き合う。 「私をセップ島に帰して欲しい。このままではいずれ神々の軍勢が攻め込んでくる」  私はエーテル王国の王女として、肉片と化すまで世界を守るために戦わねばならない。  戦うための術はフミヒコに学んだ。 「フミヒコの記憶にあった。お前達が赤」 「とお」  迂闊な事を言い終わらぬ内に、華門の手刀がシュゼッタの延髄に炸裂する。倒れこむシュゼッタを赤帝武具の三人娘が受け止め、倒れている文彦を華門が担ぎ上げる。 「訳あって二人の身柄を石杜で預かります」  事後承諾に等しい華門の宣告に異議を唱えられるものはいない。 「そうそう、忘れてましたが」  華門。  指先一つ動かすだけで、その場にいる全員が死ぬ。魔術の力が違う。技術の水準も違う。潜り抜けてきた修羅場の数が違う。  逆鱗に触れれば、一族もろとも消滅することも避けられぬ。かつて人形姫計画を企てた組織は、華門と石杜学園を敵に廻し悲惨な最期を迎えた。 「なんで……しょうか」 「種馬役の方には失礼ですが、悪い計画とは思いません。でも、同意できる当事者間で進めてやってくださいね」 「もちろん、です」  辛うじて反応できた英美が、乾いた口蓋に舌を貼り付けぬよう苦心しながら応え、華門と赤帝三人娘は転移で姿を消した。  数分の静寂の後。  とりあえず生命の危機が去ったことに安堵した名家の長達は脱力して崩れ落ちると共に、思わぬ方向からの御墨付きを得て、計画の邁進を固く誓ったのである。  かつて神楽聖士は、父親の封印を契機に魔人としての能力に覚醒したばかりの文彦を石杜の地に送った。最初の特異点暴走こそ辛うじて押さえられたものの、満ち満ちていく魔力はそこにある生物に侵蝕し、かつて北海道と呼ばれていた島を魔界に等しい環境に作り変えていた。  そこでは生半可な術師では生き残れず、魔族とて容易に殺害しうるバケモノが発生していた。  神楽の目論見は単純だった。屋島英美の訴えにより身柄を三課預かりの術師として登録したものの、数百年を生きた魔人を父に持つ以上、文彦は人間として扱われる事はなかった。 「第一世界の連中に攻め込まれてた学園は、人手不足の解消を兼ねて文彦を預かり、実戦形式で術師としての経験を積ませたんだ」  そこそこ高級そうな瓦煎餅を柘植彫の深鉢に盛り付けながら、懐かしそうに華門は表情を崩した。  石杜学園生徒会室の隣にある応接室は、その安っぽさとは裏腹に各種要人が訪れる場である。表に出せる者も、表に出せに者も含め、とにかく偉そうな人間や扱いの困る連中が応接室に放り込まれ、上からの指示を待つことになる。 「お嬢さんの世界はともかく、僕らの世界はとにかく物騒でね。昔から人間と『それ以外』は思い出したように度々争ってて、人間の編み出した術の多くってのがもう実に武闘派揃いなんだ」  だとすれば破壊の極みに立つべき華門はからからと笑いながら、急須の中の出涸らしを三角コーナーに捨て、焙じた茎茶を代わりに突っ込む。 「バケモノと相対すべく全力で戦えば保って三分、体術を駆使したところで五分以上全力で戦える術師は皆無に等しい」  そして再び全力で戦うためには少なくとも半日近い休息が要る。  それが標準的な人間の限界であり、術師が直接戦闘に至るまでを重視する理由でもある。霊剣と契約を結ぶ坂薙の御子は人間の中では桁違いに長い戦闘時間を有するが、それはあくまでも人間基準で考えた場合に過ぎない。 「駆け引き、戦略、トリック。解釈はどうでもいいけど、手札が限られている以上は有効活用するしかない」  高級そうには見えない焙じ茶を大ぶりの湯飲みに注ぎながら、楽しそうに華門は続ける。 「でも、文彦は駆け引きも技術もなく戦場に放り込まれた」  しかも正面突破する以外に選択肢のない状況で。 「正確に言えば、学園の連中が巻き込んだ、か。とにかく彼は七日七晩、ひと時も休むことの出来ない戦場で生き残った。逃げたり戦ったりしながら。それからずっと今に至るまで、現場の連続で、腕を磨いていたわけだ。暇があれば色んな術師に師事してたけど、影使いってのは実に厄介で」 「それで、カモンは私になにを言いたいのですか」  湯飲みを受け取ったシュゼッタが困惑した顔で華門を見る。演説字見た独白に気付いた華門は苦笑し、己の額に指を当てた。 「君は文彦からなにを学んだ?」 「生きる術と戦う術を」 「具体的には」 「故国で体系付けられた魔法一式と、魔法の力を身体に巡らせて戦う方法」  思い出す限りのことを簡単にまとめ、答えるシュゼッタ。  安っぽい長椅子はスプリングがへたって腰が半分沈んでおり、やや見上げる形で華門と向き合っている。 「……君の祖国ってのは、僕らの世界と同じ魔法体系なのかな」  少女は首を振る。  セップ島の、エーテル王国の魔法は破壊力抜群の魔法も多いが、生活に根ざしたものも少なくない。酒を一晩で仕込む魔法、ビスケットを増やす魔法、三日で麦畑を収穫に導く魔法などは、文彦自身が驚きながらシュゼッタに教えたものばかりだ。 「素晴らしい」  シュゼッタの解答に満足したのか、華門は彼女の手を握ってぶんぶんと上下に振る。もちろん、湯飲みはテーブルに置いた状態で。  そこには様々な種類の人間がいた。  とはいえ、人間と判断できるのは全体の七割程度。怪しいのが二割で、残り一割は論外。ハリウッドのスペースオペラでも見ない限りは想像もできないような連中が闊歩しているのは、残念ながら宇宙ステーションには程遠い地下の広大な空間である。 「来る度に思うが、目眩がする」 「今は魔界の十二氏族に限定していますけどね」  手錠をつけた文彦を誘導する形で、夜野孔太が暢気そうに説明する。ちなみにその空間が選ばれたのは、問題となっている来客の一割が大きすぎるためだ。  巨人。  あるいは巨獣。  十二氏族。種族として認定を受けるほど個体数の増えた魔人の集団であり、その起源は旧い。特異点の影響で身体が変質した人間を受け入れる集団で、学園とも縁が深い。文彦の父親や、千秋とも知り合いである。 『よう、二代目』  だから、彼らは文彦を二代目と呼ぶ。二代目影法師。初代は彼の父、光司郎その人である。 『異界に誘われたとの話、我らの耳にも届いている』 「そりゃどうも」  魔力封じの手錠ごと手を挙げて、言葉に応じる。術師として活動していた手前、異形退治や魔人の保護で十二氏族と関わる事は多少ある。知った顔をその中に見つけて、文彦はなんとも情けなさそうな仕草で椅子に腰掛けた。 「こいつはなんだい、異端審問? それとも軍事法廷?」 「さあ」  学園側の責任者であるはずの孔太が他人事のように首を傾げる。 「時空間捻じ曲げるような召喚魔術喰らった上に、加速時結界で閉鎖された世界に拘束されてたわけですから。僕らだって余裕があれば詳細な報告聞きたいですよ」 『まー、それも興味あるんだけどさ』  東方魔族に属する女魔人のひとりが、安っぽいパイプ机に頬杖つきながら文彦を舐めるように眺めている。 『一日千秋』 「は?」 『あんたの囚われてた加速時結界の名前よ。こっちの一日が、結界の中では千年に匹敵する……二代目、あんたは囚われた先の世界で何年過ごしたんだい?』  あの小娘に魔法を教えて、体術の奥義まで伝えて。  視線が文彦に突き刺さる。 「五年くらい、かな」  消滅より数分で文彦は逆召喚され、帰還したはずだ。  孔太は小さく驚き、横の文彦に顔を向ける。魔人には加齢停止した者も多いが、文彦もその例に漏れないようだ。しばらくの後に、文彦は諦めたように答えた。 「五年をかけて、あの世界を廻った」 「あのエルフっ娘と?」 「他にも旅の連れはいたけど、シュゼッタと一緒に過ごす時間は永かったと思う」 「……まさか、あの娘と」 「やましい事はなにもしてねえ」 『ゑ〜ッ』  どういうわけか。  不満そうな顔でブーイングを慣らしたのは、孔太ではなく魔族の連中だった。  甘味のない、瓦煎餅。  塩味のデザートという概念はシュゼッタの国にもあったが、味気ない茶というのは珍しかった。どちらかというと甘党の彼女にとって、この瓦煎餅はあまり嬉しい茶請けではない。  華門とシュゼッタの二人しかいない応接室に、瓦煎餅が割れる乾いた音が鳴る。  ぱりぱりぽり……ぺり。  音が止まる。 「あれぇ」  この男にしては意外そうな表情で、華門はシュゼッタの様子に狼狽した。 「口に合いませんでしたか」 「……フミヒコはいつも甘い菓子を作ってくれたから」 「彼が?」  こくん。 「甘い菓子を、作ってたと」  こくこく。  シュゼッタは嬉しそうに何度か頷き、反対に華門はしかめ面で額に手を当てる。信じられない、そう言いたげに彼女の証言を反芻している。文彦の実家はカレー屋で、調理見習いとして仕込みを手伝わされたという話はよく聞く。実際、以前に海の家の二号店で食したカレーは、玄人の仕事と呼んで差し支えない品だった。  このまま平穏無事な生活を送るのであれば、香辛料の大魔道と呼ばれた父・光司郎に勝るとも劣らないカレー職人になるに違いない。しかも寿命のない魔人であるならば、無限の修練が可能である。  それが、 「彼が菓子を作れたとは初耳です」 「ふうん」  華門の言葉に、シュゼッタも感嘆した。フミヒコのようなバケモノじみた術師を平然と受け入れるのがこっちの世界なのかという驚きと、目の前のカモンがフミヒコ以上のバケモノだと理解してだ。  と。  地面が揺れた。垂直に、二度。地震の類とは違う、奇妙な波だ。年代物の木造校舎だから、振動はより大きく感じられる。 「やっぱ切れたか」 「?」 「いえいえ、こちらの話。それよりも、おおよその事情は聞きましたし、こちらでも少しは調べています」  あくまで営業スマイルを維持して華門は平静を装う。この男にしては珍しく直ぐ嘘と知れるつくり笑顔ではあるが、触れてはいけない真実がそこにあるとシュゼッタは感じ取る。 「全面協力するには体制が整っていないのが心苦しいところですが、赤帝武具一式の派遣には何の問題もありません」  華門が指を鳴らせば、シュゼッタの背後に石杜学園の制服を着た三人娘が出現する。  ひとりは赤帝鎧たる世良光。  ひとりは赤帝剣たる石野翼。  ひとりは赤帝盾たる金剛寺晶。  いずれも人にあらざる身でありながら、人に近しい身体を手にいれ、今はいずれも村上文彦の養女という扱いで存在を定着させている。マノウォルトと呼ばれる存在を屠り、それを生み出すべく人の世界に干渉する者たちを狩るべく生み出された武具の化身である。 「調整不足の赤帝武具は過剰な力を依り代に注ぎ込み、異界からの赤帝召喚術に依り代を巻き込む結果となりました……あれから八方手を尽くし、最悪の事態は繰り返さぬよう施したつもりです」 「はあ」  なんのことかもわからず、とにかくシュゼッタは華門に求められるまま握手を再びした。それも両手で。 「そういうわけで」あくまで真顔で華門は言う「赤帝と合体すれば、時空の壁とか加速時結界とか余裕で突破できますから」 「え」 「影法師は、十二氏族のお見合い攻勢とか一通り突破できたら送り込みますんで。とりあえず蹴散らすだけ蹴散らしててくださいね」 「えええええ〜っ!」  反論を唱えるより早く。  赤帝三人娘は笑顔でシュゼッタの身体にしがみつき、四人の少女は赤色の光球に飲み込まれて消滅した。 「とはいうものの、十二氏族も頭の固いひとばかりですし」  自身も西方魔界を統べる立場でありながら、まるで他人事のように独りごちると、華門はぬるくなった焙じ茶を時間をかけて飲み干した。  三度目の振動が起こっても、気付かぬ振りで。 『後継者不足に悩んでいるのは、人間だけではないのだよ』  投げ飛ばされた巨人が、壁に激突したままの姿勢で弁解した。手錠に仕込んだ魔力封じの術式は今も機能しており、魔術や異形の能力は一通り制限されているはずだった。それなのに文彦は、己の十倍はあろうかという身の丈の巨人を片手一本で投げ飛ばし、銀色に輝く光の輪がその場にいる魔族たちの周囲を飛び交っている。  彼らの知らぬ魔術。  文彦がセップ島世界から持ち込んできた、かの世界の法則に基づいた術式すなわち魔法である。この世界の法則に縛られず生み出されたもの故に、術式をもって術式を封じたところで魔法までは閉じ込める事はできないのだ。 『十二氏族ではおよそ六万、少数部族を含めても十八万余。それが魔界に根付いていた魔族の総数だ』 「だから、魔界が崩壊しても石杜に逃げ込めたんだろ」 『その通りだ。特異点崩壊を前後して市民が避難した石杜の地に我らは移り住み、都市の復興に従事した……逃げ遅れ新たに魔人として生を受けた者たちを守るためにもだ』  魔力に満ちた石杜は、滅亡した魔界より住み易いほどだった。学園からの厳しい指示がなければ、北海道の大地を新しい魔界として作り変えたいと願ったほどに。 「あと少しで市民権だってもらえそうなんだから、それでいいじゃねえか」 『影法師よ、いま人類は軽く五十億を越えているのだぞ?』  牛頭に近しい魔族が手を挙げる。魔界に逃れる前までは黄河流域で暮らし、先祖には仙位を得た者もいるという名門の魔人である。 「それがどうした」 『うむ、私の計画によると総人口を二十億程度に減らしても人類種の存続には何ら問題ないし地球環境を回復させる上でも……わかった、もう言わないから。だから、その物騒な金属球を音速で叩きつけるような真似だけはやめてくれ』  魔人同士から生まれたものは、自身が人類に連なるものだという意識が乏しい。魔族としては第二世代の文彦だが、母親が人間であり人間社会で暮らしていたこともあって、純然たる魔族連中と価値観の相違で困ることが多い。  存在を維持するために精気を常に必要とする異形と違い、魔人は人間への依存度が低い。石杜や犬上のように特異点の精気が満ちている土地では不自由なく暮らせるし、小規模の特異点を内包した一部の魔人に至っては世界中のどこでも人間と変わらぬ生活を送ることもできる。 『うむ』  その魔界も今はない。  否、正確に言えば、一度崩壊しかけた魔界は石杜の郊外で再構成に成功し、魔界の法則を内包したまま世界に定着した。傍迷惑だからと、代案を出さない限り近々ぶちこわされるという話を耳にしている。 『元の領地など既に人手に渡り、下手すれば山は崩れ海は埋め立てられておる。仮に戻ったところでそこは我らの居住するには甚だ不適当な環境ばかり……今なら人類を滅亡させようとした過去の魔人の気持ちも少しは理解できるぞ?』 「それと人手不足とおれの人生設計にどんな関係があるんだ」 『我らの息女を君の側室に送り込み、なおかつ君があの異界の娘と結ばれていたら、我らは外戚ということで向こうの世界に移住で』  殴打。  殴打殴打殴打、襟首平手平手平手平手殴打、投極膝落。悶絶悲鳴、哀願無視。  殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打。 「それで」  爽やかな汗を流しつつ、この上なくご機嫌な顔で。  もちろんその場に集まった十二氏族の代表を孔太もろとも消滅させようが微塵も後悔しないぞという覚悟の下に究極的に魔法の力を高めながら、文彦は改めて尋ねた。足下には、原型の四割程度にまで磨り減ってしまった牛頭の魔人が転がっている。特異点の影響もあり、放って置けば復活しそうだ。  部屋の反対側に張り付くように退く魔界の重鎮。 「おれも色々訊きたいことがあったんだ」 「な、なんでしょうか村上さん」震える声で、孔太「応えられる範囲でなら、どんな質問でも」 「あの世界を襲ってる連中について教えてくれ」    四度目の振動が起こった時、華門は集められるだけの資料を揃え、テーブルの上に並べていた。端末用のデータならばカード一枚で済むものをわざわざ印刷され大型ファイルで留められた分厚い紙の束は、一課から三課までの調査員が作製し、学園が監修した克明な記録と、その分析結果。  小口径の銃弾なら止めてしまいそうな分厚さ。そのまま振りかぶれば鈍器としてサスペンス映画の小道具として登場できそうだ。 「かーもーんーッ!」  木造校舎を揺らすように、怒号が響き渡る。校舎が揺れているのは声の主の足踏みによるものではなく、暴走する声の主を必死に食い止めようとしがみつき、そのまま引きずられている大質量が跳ねたり落ちたりする際に生じる振動である。 「ここかあ!」  力任せに扉を開ける音は、ずいぶん向こうから聞こえた。  小さな悲鳴と、乱暴に閉められる音。  何度かそれが繰り返され、ようやく応接室の扉が開かれた頃には華門は随分と冷たい視線で文彦を出迎えた。 「遅い」 「何度も部屋を間違えたからなっ」  腰と足首と膝のあたりに十二氏族の代表を数名ひきずったまま、荒い息と高いテンションで文彦は叫ぶ。こめかみの辺りに青筋が浮くほど頭に血が上っているはずだが、恥ずかしい失敗を繰り返すことで多少の落ち着きを取り戻したようだ。 「あの世界を攻め込んでるのが第一世界の連中ってのは本当なのか」 「新生した赤帝盾を処分すべく天使もどきを犬上に送り込んだのも連中の眷属じゃないですか」  分かってたくせに何を当たり前の事をと言わんばかりにあっさりと、華門は文彦の質問に肯定で応えた。 「神の軍団を自称する莫迦は色んな世界にいるけど、他所まで乗り込んでいく大莫迦は限られてるでしょ」  利用価値のある世界は版図に加え、そうでなければマノウォルトの種子を所構わず撒き散らして因素資源に換えようとする。最も旧く生まれた世界を主張する彼らは全ての支配者であろうとし、認知できる数多の世界の主として振舞おうとする。時の流れさえ定まってはいない世界を結ぶ路を識る者にとって、彼らの弁は滑稽で哀れである。時間さえ不確かな領域で始祖であることにどれほどに意味があるのか。いや、無数の宙を結ぶ路さえ見えていない世界に生きるものにとって、全ての始まりを誇らしげに語る侵略者をどう受け入れろというのだ。 「その大莫迦は、学園で始末したんだろ」  術師として魔人として覚醒した直後の修羅場を思い出しながら、文彦は確認するように言った。 「遺跡と獣の王を狙って、第一世界の連中は石杜を襲撃したじゃねえか」 「ええ」 「全滅してなかったのかよ」  記憶の奥底に封じ込めていた忌々しい記憶を引きずり出しながら、文彦は呻いた。  七日七晩、絶えず襲い来る【神】の軍団。卑弥呼の転生を自称する女が百八人現れ、思い出せるだけでも大天使ミカエルが十六体現れた。いずれも神々しいばかりの美貌を備え、実用には乏しい装飾武器から七色の光線を撒き散らしながら勝負を挑んでくるのだ。  放つ技は、聞いたこともない古流派の超奥義。  所有する武器は常に伝説級。  防具として意味を持たない水着に等しい鎧を着用したものもいれば、内部動力もないのにロボットじみた重装甲を無理矢理着用して戦うものもいた。しかも無駄に強い。  優勢であれば正正堂堂を口にし、不利になるやマノウォルトを発生させる。戦場に放り込まれた直後は単に自己愛過剰で人間至上主義者の秘密結社かとも思ったが、仲間に見捨てられた兵が学園生徒に命乞いをしながら膨れ上がり肉海と化すのを続けざまに目撃して自身の認識の甘さを悔やんだ。思考と目的は安っぽいが、己が根付かぬ世界に侵攻しているので、そこを滅ぼすことに微塵も躊躇しない。  世界が無数にあるのを知り、それを食いつぶしながら幼稚な侵略を繰り返す集団である。彼らは絶対者としての力を得るべく獣の王を求め、結果としてその威の前に滅びた。  滅びたはずだった。 「滅ぼしたんだろ、関係者」 「こっちに攻め込んでる部隊については」 「本拠地は」  視線を逸らしつつ、ふけない口笛を吹く真似で誤魔化す華門。しがみついている魔族を廊下に投げ飛ばしつつ、文彦はじと目で華門を睨む。 「……潰してねえのかよ」 「いや、親玉潰した途端に系列世界が揃って第一世界を名乗り始めて。互いに本家を主張して」  それはもう分裂したプロレス団体やのれん分けに失敗した老舗料亭のように、凄まじい身内同士の殺し合いを。  分厚い資料をぺらぺらと開きつつ、華門は疲れ果てたように続けた。 「調査を重ねているけど、結局どの世界にも将来第一世界のようになりうる因子が備わっているのが判明してまして」  この世界を含めて並行する無数の世界を道連れに崩壊させれば、ひょっとしたら第一世界の発生を防げるかもしれないよと、怖い笑みを浮かべる。 「そんなの本末転倒だろう」 「だから関わりある世界に防衛人員を派遣して、その都度迅速に追い払うって方針を上では決定したんですよ。十二氏族から君に出された移住提案だって、そっち方面のメリットもあるから許可が下りているんです」  魔族たちがどのような申し出を文彦にしたのか、西方魔族を統べる華門は知っている。 「普通の異世界なら、反対しねえ」 「確かに」  歯切れの悪い文彦の言葉に、華門も同意する。短い間ではあるがシュゼッタと話をして、その異常性を華門は理解していた。  こちらの魔人能力や術式が極限に増幅され、それが安定してしまう異世界の構造。  獣の王を理解しているからこそ生み出された、眷族に近しいもの。  恐るべき獣と呼ばれた種族。  白と黒の石剣を所有する青年。  金鉄と呼ばれる結晶体、それを扱っていたというエーテル王国。彼らは赤帝を召喚する術を理解し、佐久間千秋を異世界より招いた。  逆召喚して間もなく文彦の口より告げられたこれらの事柄は、学園を飛び越えて華門の所属する綾代の家、すなわち獣の王を崇拝する術者集団にも伝わったほどだ。 「本当は……戻ってこれたら連中とは関わらねえと考えてた。おれは結局異界の人間だし、おれたちが干渉していい世界じゃねえ」 「でも、攻め込んでくるのが第一世界なら話は別でしょ」  攻めあぐねる目標には容赦なくマノウォルトを投入する物騒な連中だ。異界の魔力が増幅されるあのセップ島世界では、肉海は一瞬で総てを飲み込んでも不思議ではない。 「その通りだ。シュゼッタは鍛えたけど、あそこはまだ異界の侵略に対抗できる力がねえ」  赤帝が招かれたのも、そういう理由なのだろう。  セップ島での五年間の旅の中で、文彦は訪れた遺跡の一つでエーテル王国が消滅した理由の幾つかに触れた。雑魚に等しい亡霊が、あの世界ではきわめて強大な力を得てシュゼッタを拘束していたではないか。 「……仕方がねえ、アフターサービスだ」 「というと」 「恐るべき獣と石剣の男に、事情を伝える。奴らが捜してる魔女ってのを見つけておかないと、次に攻め込まれた時に自力で対処するのは難しいと思う」  可能であれば、赤帝武具を持ち込みたいくらいだ。  そう話す文彦。 「それなら心配ない」  あくまで真面目な顔で華門は壁の時計を見る。 「君がそう言うのを見越して、シュゼッタ嬢に赤帝武装させた状態で元の世界に送り返したよ」  あまりにも用意の良い華門の言葉に、文彦の顎がかっくんと落ちた。声にならない呟きで、いつ?と訊ねたら。  およそ二時間前に。  という淡白限りなく、ついでに誠実だからこそ腹立たしい回答が即座に返って来た。 「彼らとは関わるのを望まないのでしょう?」  ほんの少し前に自分で口にしたことだけに反論の言葉が出ない文彦は、自分がどうして呆然としているのかも理解できずにいた。