地平線の彼方より突如現れた光の刃は、碇を下ろし始めていた陸船の衝角先端を切断した。無論その程度で刃は止まらず、係留するために牽引索を打ち込んでいた傍らの岩塊を十字に断つと空に至って白雲に同じ紋様を刻んで消える。  破壊音が到達するのは、その数秒後。遠い雷のように空気を震わせる衝撃は、折り畳む前の帆を波打たせた。 「総員」  悲鳴を上げる者がいなかったのは、彼らがよく訓練された兵士だからだ。崩れ始める岩塊がとりあえずは陸船に当たらないことを確認しつつ、船長は副長に短く伝えた。 「退却準備」 「退却準備!」  次々と復唱される、短い命令。牽引索すらその場で捨て、彼らは退却を開始した。  VIII 魔族  アポロジアの国でランサーを使う剣士はいない。  星の樹が発見され歩兵ですら重装甲化が進んだ現在、アポロジアおよび周辺地域では戦鎚による直接打撃か、矛槍でなぎ払って転倒させることが対歩兵戦の基礎となっている。  ランサーは、その戦鎚とは対照的な武器だ。「東の魔王」と共にこの世界にもたらされたランサーは、形はどうあれ神々を崇拝するアポロジアの者にとっては忌避の対象ですらある。またランサーは通常の剣術では使いこなすのが困難で、むしろ杖術に近しい技術体系を必要とする。そのため「騎士道」なる文化がかろうじて残っているようなアポロジアにおいてランサーの使い手は邪道中の邪道であり、物好きが妖精の国より取り寄せた教本が数冊ある程度だ。  だからランサーを使用した武術が発達したのは、大洋を挟んでアポロジアと対立し、魔族を広く受け入れた大南帝国の獣人たちの間である。彼らは回転による遠心力と速度をもって、このランサーに破壊の力を与えている。もっともそれは彼らが人間を凌駕する膂力を有しているからこそ。  クロルの外見は人間と変わりない。  ランサーを扱う技術も、獣人のそれとは根本的に異なる。魔術師が武器に強化の魔術を付与するのは珍しくないが、クロルは自身の内より練り上げた圧倒的な量の魔力を武器に載せて純然たる破壊力とした。  マチウスは、その技を知っていた。 「ランサー使いの源流、魔族の闘法か」 「いかにも」  構えていたランサーを虚空に消し、クロルは瓦解した石兵の下から兵士をひとり引っ張り上げる。意識を失った兵士は幼さの残る顔立ちで、海軍の制服を着用している。土埃にまみれ性別は分からないが、どちらとも解釈できる程度の身体つきだった。 「身体機能に魔力を上乗せ、その力を増幅する。武器もまた手足の延長で、ティターンってのはそういう用途で開発されててね」 『旦那、旦那。それ機密やから』  マチウスの呟きに丁寧な説明で答えようとしたクロルに、巨大甲冑と化したベリアルが困ったような声で突っ込む。 「お前の今の姿だって機密漏洩みたいなもんだろ」 『ああ、しもたあ!』  頭を抱えて狼狽するベリアル。勇ましい甲冑の巨人がそのように振舞うのは滑稽だが、先刻の戦いを目撃したマチウスにその様を見て笑い飛ばすことなど出来ない。 「ベリアル、星はどこに落ちるか察知できるか」 『無理』  返事は素っ気無い。 『アッチは通常探査どころか【都市】の魔力探査までかいくぐって来たんやで?』 「だが、こちらの世界に飛び込んできたんだろう」 『女王はんが飼ってる鳥の結界が破られたのはホント』  白銀に輝く猛禽の姿を思い出し、うげえと呻くのはクロルとベリアル。 「異変に気付いて独自に動き始めた者もいる」 『そやな』  ベリアルの視線が、クロルの抱える兵士に向けられる。意識を失っているが、石兵の瓦礫に飲み込まれつつも打ち身程度で済んでいる。押し潰される際に魔力を身体強化に向けたのだとクロルは判断した、それが出来る使い手は限られる。 「俺達の受けた命令は、ゲートを突破してきた奴の正体を見極めることと」 『出来る範囲での事態収拾』  釘をさすようにベリアルが言葉を重ねてくるのは、クロルの実に楽しそうな顔を見ているからだ。 『収拾するんやで?』 「王妃の願いでもある」 『旦那が下手打つと、クニで待ってる眷族が大恥かくんやで?』 「王が妃に求婚した際の大騒動で、羅刹の名は地に堕ちとるわい」 『う』  絶句するベリアル。クロルは思い出したようにマチウスに向かう。ゆっくりとした歩みで、隙も多そうだ。が、地平線の彼方に逃げたところでクロルのランサーより逃れられる術はない。 「目的地が同じなら、我らを雇わんかね」  そんな呑気な言葉を訊く寸前までマチウスが死の宣告を覚悟していたとしても、それは間違った判断ではなかった。