『黒白の翁』  あるところに黒白の翁と呼ばれる者が住んでいた。  ある者は、黒白の翁こそセップ島でもっとも長い時を過ごした魔人であると主張した。翁が驚くほど古い出来事を知っており、セップ島の古文書に彼を示す記述がいくつもあるためである。  またある者は、黒白の翁は北海に住まう魔物と縁深いのではないのかと主張した。翁が構える庵には東西の古文書が集められ、樽に手足が生えたような滑稽な魔人が弟子と称して出入りしているためである。  これまたある者は、黒白の翁は第一級の武人であると考えていた。第一級の武人だからこそ発することの出来る闘気を、黒白の翁は漂わせているためである。  だが黒白の翁は言う。 「儂はごく普通の若者じゃぞ」  確かに黒白の翁は、見た目ならば二十歳を過ぎた程度の若者である。が、彼の主張を信じるものは誰もいない。  あるとき、黒白の翁は弟子の魔人を呼んでこう言った。 「弟子よ、お前は何故儂の弟子になったのだ?」  走るより転がる方が確実に早い魔人は即答した。 『お師匠様が完成させた不老不死と年齢詐称の秘術を学びたいからです』  黒白の翁は無言で鉄扇を振り下ろし、魔人の額を砕いた。魔人は届かぬ腕を必死に額に当てようと『うをををををををををっ』と地面を転がっている。 「儂はごく普通の若者だと言っておろうが!」 『いや、でも雪の王子様も、猫の国の王様だって認めていますよ』 「……何を認めているというのだ」 『ですから、お師匠様がセップ島最古にして有数の魔人だと』  黒白の翁は無言で短剣を投じ、砕けた魔人の額に突き刺した。金鉄を鍛えた刀身には魔封じの護符が刻まれており、魔人は突き刺さった短剣を必死に抜こうと『ぬををををををををををっ』と転がっている。 「何度も言っておるが、儂は数年前に成人の儀式を迎えたばかりの、まじりっけなしの若者なのじゃ! 北方魔人とやらも猫の王も、儂には関係ないっ」 『ゑー?』  胡散臭そうに見上げる魔人の顔面に、黒白の翁は己の踵を勢いよく叩きつけるのだった。  またまたあるときのこと。  黒白の翁が住まう庵を遺跡探索者たるニコラス・ハワドが訪れた。黒白の翁が古文書に通じていることを知っていたニコラスは、自分ではどうしても解読することの出来ない難解な文章でも翁ならば読み解くことが可能だと考えたのだ。 「なるほど、確かにこりゃ厄介な書物じゃな」  示された古文書を見て黒白の翁は唸った。翁は知恵を振り絞り、ニコラスと意見を戦わせ、三日三晩睡眠を摂ることも惜しんで解読を続け、遂にはその意味を理解した。 「ありがとうございます。学舎の人間に追われているので、資料が使えなくて困っていたのです」  意識を朦朧とさせつつ資料をまとめたニコラスは、重くなった瞼をこすりつつ礼を述べた。 「いやいや、こちらも充実した時間じゃったぞ」  偏見を持たずに接してくれたニコラスの態度を気に入っていた黒白の翁は、まあとりあえず休むが良いと促した。その言葉を聞いたニコラスは倒れこむように寝ようとして、テーブルの角に思い切り額を打ち付けて昏倒した。  それは庵全体が揺れるほど大きな音だったので、何事かと弟子の魔人が駆けつけた。 『お師匠様、いったい何が      』  転がるように飛び込んできた魔人が見たもの。それは、  ひっくり返ったテーブル、  散乱した古文書、  額に大きなコブを作って気絶しているニコラス、  むなしくも何かを悟った表情でニコラスを見下ろしている黒白の翁、  であった。 『これは……』 「見れば分かるじゃろう」  早く湿布と布団を持ってこいという黒白の翁の言葉を遮って。 『す、凄いっ。雪の王子様を再起不能に追い込んで、南方の人食い竜を蹴り倒して退治したというニコラス・ハワドを一撃でっ!?』 「ちょっと待て、何か誤解していないか」 『凄い、凄い! さすがはセップ島でも最古にして有数の力を持った魔人だ、この快挙を魔人の仲間に伝えなければっ!!!』 「人の話を聞かんかーいっ」  と。  黒白の翁が拳を突き出すよりも早く、弟子の魔人は文字通り転がって庵を飛び出していた。  その後。  黒白の翁は「あのニコラスが手も足も出ずに倒されたそうだな、さすがは最古にして最強の魔人だな」と人々に語り継がれるようになったとさ。  めでたし、めでたし。 「儂はちょっぴりお茶目なだけの、ごく普通の若者なんじゃあああああっ!」  まーたまた、御冗談を。