『いくさ人形』  あるとき旅人のニコラスは森の奥で一体の大きな戦人形に出逢った。  鎧を着た騎士のように立派な身体は緑色の苔に覆われ、屋根より高い槍は蔦が絡まり鳥が巣を作っていた。人形は旅人の存在を確認すると一礼しようとしたが、鳥の巣が動きそうなので途中でそれを止めた。  旅人は、挨拶など大した意味が無いよと頷いて近くの下草を切り払い、椅子と思しき石の彫刻に腰掛ける。森の奥は、誰かが築いたのだろう石の彫刻が沢山並び、樹齢百年を越える巨木に囲まれたそこはまるで神曲奏でる劇場の如く荘厳な雰囲気だった。人形は槍を近くの木に立てかけ、旅人にしかわからない旧い言葉で歓迎の意を伝えた。 「ここは【霧伝う丘】ではないのか?」  旅人が旧い言葉で訊き返せば、人形は首を振る。 『だが此処も、かつては【霧伝う丘】に並ぶほど栄えた地だった』  人形は言う。  この地もまた妖精たちの隠れ里であり、沢山の妖精たちが住んでいたと。下草の間に腕を動かせば、黒味を帯びた紅に彩られた漆器が幾つも現れる。森にいるであろう美しい蝶々を図柄として金を箔したそれらの器は瑕もなく、形も彩りも非常に美しいものだった。  幾重にも漆を重ねたのであろう、その匠の技を理解した旅人は感嘆の声を上げる。地に住まう小人達でさえ、これに匹敵するものを作ることは容易ではあるまい。なるほど今でこそこの場所は草と木に埋もれているが、かつてそこは天地を共に支配した偉大なる妖精たちの聖域だったのかもしれない。 『今は訪れるものもいない』 「そうだね」  漆器を草の上に置き、旅人は辺りを見た。柔らかい苔を踏む者も、下草を払った跡も、旅人の前にはない。十年百年と、その地はいかなるものの目も誤魔化し、あるいは退けていたのかもしれない。 『悲しい別れがあった。  誤解とすれ違いもあった。  彼らは互いを理解するため努力したが、結局のところ彼らは自分自身しか見つめていなかったのかもしれない。  気がつけば。  私だけがこの場に留まっていた』 「見ればまあ大体のところは」  理解できるかもしれないねと旅人。 『我々は何を間違えたのだろう』  人形は問う。  人生を何度もやり直すだけの時を過ごしてきた人形は、二十年も生きていない旅人に問いかけた。 『我々には何が足りなかったのだ』 「さあ」 『我々は何をなすべきだったのか』 「はて」 『我々は他に選択肢はなかったのか』 「ふむ」  旅人は上を見て、しばしの間を置いて下を見た。上は木々の枝が、下は草が生えるのみ。しばし考える素振りを見せた旅人は、深く息を吐いて再び顔を上げる。人形は覗き込むように旅人に近付き、彼の答えを求めようとした。  旅人はこう言った。 「君は沢山の時間をかけて考えたんだな」 『その通りだ』  今日この時に至るまで一日たりとも考えなかったことは無いと、人形は答える。 『最良の選択とは何だったのかを我は考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて』 「そして何も行動しなかった」  静かに、しかし冷たく旅人は言った。 「即座に動けば収拾出来たかも知れないことを、君は考えることに逃げてしまったんだ」  それは自業自得というものだね。  言って人形の肩を叩けば、千年は生きたであろう人形はがらがらと崩れてしまった。旅人は崩れた人形から歯車を数枚抜き取って懐におさめると、そのまま森の奥に進んで消えた。  時は更に過ぎ、草と苔が全てを覆い隠し、そこは何の変哲もない森の景色に融け込んだ。