『いいかげんな話』      あるとき旅人のニコラスが真っ直ぐな街道を歩いていると、道の真ん中に大きな立て札が刺さっているのを見つけた。 【未亡人注意】  立て札には短くそう書かれていた。何のことだろうと首をかしげたニコラスは、腰に差した白黒の石剣を鞘の上よりぽんと叩いてこう言った。 「どの辺を注意しようか」  石剣は何も喋らない。  まあ確かに注意しても仕方のない話なのでニコラスは立て札を迂回して街道を更に進んだ。石畳で舗装されてはいないが、砂利も少ない道だったので歩くことは辛くない。  しばらく真っ直ぐ歩くと、道の真ん中に大きな立て札が現れた。最初の立て札と同じ大きさで、形もそっくりだった。 【人妻注意】  立て札には短くそう書かれていた。やはり何のことだろうと首をかしげたニコラスだが、石剣が何か言ってくる気配も無いので立て札を迂回して先に進んだ。歩きながら未亡人と人妻の関連性などを考え、しかしまっとうな結論を得られる訳でもなく、黙々と街道を進む。  さらにしばらく真っ直ぐ歩くと、道の真ん中に大きな立て札が現れた。大きさも形も、前の二つとなんら変わらない代物だった。 【悩んだり憂いに満ちている年上のおねいさん注意】  立て札には短くそう書かれていた。  ニコラスは立ち止まり、しばらく立て札を眺めた後ふむと頷いた。 『迂回しないのかね』  腰帯に差した石剣が初めて喋る。からかっているような、面白い玩具を見つけた子供のような、そんな口調だった。 「たとえば」  断りを入れた上で、ニコラスは口を開く。 「たとえば、この立て札の先に年上のおねいさんがいたとする」 『ふむ』 「いたとして、注意しないといけないのは僕なのか。それとも年上のおねいさんの方なのか」 『ふむふむ』 「仮にそのおねいさんが僕の理性を揺さぶるほど魅力的だったら」 『だったら?』  しばしの間が空いた。  ニコラスは答えず、代わりに立て札を蹴り飛ばした。 「バーカ、僕のバーカ」 『なんだそれは』 「むかしの偉い人の言葉」  意味はわからないと続け、地面に倒れた立て札をかかとで踏み砕く。べきりと乾いた音が立てば、割れた立て札より紫色の煙が噴き出し眼前の景色が歪む。果てしなく真っ直ぐと思われた草原の街道が昼なお暗い森に様相を変え、平坦な道が湿った腐植に変わり靴が足首まで沈む。  見たところ人が踏み込んだ様子は無い。  踏み砕いた立て札は既に跡形もなく消えており、わずかに鼻腔を刺激する煙の匂いだけがかつてそこに存在していた証拠だった。 『旅人を惑わす怪異の類か』  今更正体に気付いたところで何の救いにもならないが。  その言葉を飲み込んで、ニコラスは森の中を真っ直ぐ進むことにした。 『これは罠ではないのか』 「綺麗なおねいさんいたら勿体無いでしょ」  しれっとした顔で答えるとニコラスは森の奥へと姿を消した。