『金毛の羊』  あるところにニコラスという少年がいた。  人ではない義母と辛うじて人間の範疇にある義父を両親に持ち、『あの両親では半年保てば上出来』という周囲の予想に反して健やかに育ったニコラスは割と賢く、そして丈夫な子供だった。物心つく頃、ニコラスは己が本当の息子ではないと理解した。それでも彼は育ての両親のことが好きだったし、義父母もまたニコラスを本当の子供として大切に想っていた。  さてニコラスが6歳の春。  両親に最初の子供が生まれた。村人は素直にこれを祝福しニコラスも素直に喜んだ。 「お前が名前を考えておくれ」  義父がニコラスに言う。 「ニコラス、お前は兄さんになるのだから妹のために名前を考えてほしいのだ。そうすれば私達の絆は強くなるだろう?」  羊飼いの義父は笑顔でニコラスに言う。村長は良いことだと頷き、ニコラスは照れながらも一生懸命に考えた。賢いとはいえ6歳の少年に過ぎずまともに教育を受けていないニコラスだが、不思議と頭の中に思い浮かぶ名がひとつあった。やがて彼は決意すると己の拳を堅く握り締めて母と妹が休む部屋に向かい、大きな声で告げる。 「サージェリカ!」高く澄んだ声でニコラスは叫ぶ「はじめまして、僕の妹! きみの名前はサージェリカだ!」  少年の言葉に応じるかのように、扉の向こう側から赤子の声が聞こえる。  あんぎゃぁ、と。 「あんぎゃぁ?」  思わずニコラスは聞き返す。彼が知る限り村人の赤子はそんな声では泣かない。それに今のは野の獣が発する鳴き声に近い。ニコラスは義父を見て、義父は咳払い一つすると扉を開ける。  青い髪の義母はベッドより上体を起こし、一匹の小さな竜を愛しそうに抱いていた。左は紅、右は碧に彩られた美しい瞳。全身を覆う鱗は雷のような淡い紫に輝き、ぱりぱりと小さな電撃を辺りに散らしているではないか。  唖然。呆然。  幼いニコラスは頭の中でいろいろと考えた。新しく生まれてくる妹と上手くやっていくための方法とか、自分が兄となるからには果たさねばならない諸々の事とか、そういうことを幼いながらも余計な部分まで考えた。現実を逃避するように、まっとうな赤子の世話で毎日を過ごす自分の姿を思い浮かべたりして。だがそういうもの一切合財が、目の前のちび竜を見ると吹き飛んでしまう。  おそるおそる、ニコラスは再びその名を口にした。 「さ、サージェリカ?」 『あんぎゃぁ』  今度は嬉しそうに、ちび竜が鳴く。開かれた口よりプラズマの吐息が漏れ、天井と屋根に大穴を空ける。煉瓦で組んだ壁には所々ガラスのように熔けてしまった痕跡が見て取れる。サージェリカと名付けられたちび竜は幼いニコラスを見てぱたぱたと翼と尻尾を振っている。 「はは、は……」 「今日からニコラスもお兄ちゃんだな。頑張れよ」  義父は呑気にニコラスの肩を叩き、村長はひっくり返る。ニコラスはそれでも新しい家族の誕生を喜ぶことにした。  赤子の世話は、忍耐の連続だ。  村で生まれる子供の世話を手伝えば、それくらいのことは見えてくる。生まれて間もない赤子や幼い子供の面倒を見るのは村の子供達の仕事で、ニコラスも世話になっていたし世話もしていた。  が。 「ごめん、ニコラス。さすがにソレはちょっとキツイ」  村のガキ大将が申し訳無さそうに頭を下げる。ニコラスはというとちび竜サージェリカを背負い、帯で身体に巻きつけていた。時々サージェリカが羽ばたくと、ニコラスの身体も一緒に浮き上がりそうになり周囲の子供達が慌てる。 「生後三日でコレだから、予想より成長が早いかもしれないって」  足が地面より少しばかり離れるとニコラスは指で妹の額を軽く叩く。サージェリカはあんぎゃぁと叫んで羽ばたくのを止めるがプラズマの吐息がニコラスの後頭部を襲い、それをニコラスは首の動きだけでひょいと避ける。行き場を失った超高温の吐息は遠くの岩場に当たってちょっとした爆発を起こす。爆音よりワンテンポ遅れて生じた爆風が岩の破片や高熱の水蒸気を伴って子供達に吹きつけ、何人かの子供が腰を抜かし、さらに何人かが泣き出した。  辛うじて立っていたガキ大将も、顔面蒼白だ。 「だ、大丈夫なのかい、ニコラス?」 「んー。慣れた」  あちこち焦げたり歯型がついているニコラスは溜息をつき、村の子供達に頭を下げる。 「そういう訳で、しばらくみんなと一緒に遊べないと思う」  それじゃあとニコラスは駆け出す。近くの家の壁に立てかけていた牧童の杖を担ぎ、数百はいるであろう羊の群を追いかけていく。村の子供達は心配そうに、去ってゆくニコラスの背中(と縛りつけたサージェリカ)を見送った。  はたして子供達の心配通り。  最初の半年で、村の近辺より山犬が消えた。  次の2年で山鬼の姿が見られなくなった。1匹もである。  背負えるほどだったサージェリカは今や屋根よりも高く、そして大きくなっていた。食べるだけ食べて、食べた分だけ大きくなっていくのだから当然の話。むやみやたらにプラズマの吐息を出さなくなったのは良いものの、物欲しそうに村の家畜に熱い視線を送るので温厚な村人も引きつった笑顔でサージェリカ(でか竜)の成長を見守っているのだ。  そんなある日。 「義母さん、サージェリカってどれくらいまで大きくなるの?」  真顔でニコラスは質問した。  食物連鎖の頂点に立つ妹の面倒を見るのは兄の役目とばかり、ニコラスは空を飛び地を駆け破壊の限りを尽くす妹を必死に追いかけては何とか引きとめ鉄拳制裁し、連れ戻している。無論ニコラスがいかに殴ろうとも竜たる妹は撫でられたほどの打撃も感じていない訳で、逆に甘えて抱きついたり吐息を吹きかけようものならばニコラスの骨は砕け身体は炭と化す。日々「どうしてお前生きてるの?」と村人に不思議がられ、当のニコラスでさえ「……さあ?」と自嘲気味に返すしかない状況なのだから、考えてみれば至極当然の疑問を義母にぶつけたのである。  青い髪の義母は小首を傾げ、すっとぼけた顔で己の娘を見つめ、やがて両手を目一杯に広げて見せた。 「そうね、あの子ちょっと小食気味だから」 「しょ、小食っ!?」 「今の3倍くらいで成長は止まると思うわよ」  義母の言葉に、ニコラスは虚ろな笑顔を浮かべた。  10歳の少年が見せる顔ではない。彼は今も家族を愛していたし、なにより妹を大切に思っている。人の言葉を理解し、最近では村の子供達とも一緒に遊ぶようになったサージェリカを迷惑に思うことはない。  ただ。 (……反抗期が来たら、僕に止められるだろうか?)  とは考えていた。妹は、怒ると自棄食いする傾向がある。鯨の数頭、軽く平らげるほどに。そしてニコラスは知っていた。ニコラスが預かる300頭の羊を見てサージェリカが涎を垂らし腹の音を鳴らしていることを。 (いや、駄々をこねて今日明日にも食べ始めるかもしれない。妹は、そういうところがある。時々、僕の言葉を理解出来ないフリして食いに走るし)  ニコラスは考えた。  考えて、300頭の羊を連れて村を出た。義母に妹の世話を頼み、草原に300の羊を導き静かな声でこう告げる。 「このままだと、お前たちはサージェリカの晩御飯になると思う」  めええ。  羊は首を横に振る。嫌らしい。 「食べられないように、頑張れるかい?」  めえええ。  今度は首を縦に振った。ニコラスは小さく頷くと樫の杖を構えた。  数日が過ぎ、ニコラスは帰還した。  麻の服はぼろぼろで、ところどころに血の染みがついている。率いる羊の群もまた傷だらけである。ニコラスが傷だらけなのはいつもの話だが、妹と同じくらい大事にしている羊が傷だらけなのを見て村人は驚く。 「一体何があったのだ、ニコラス?」  代表して村長が駆け寄る。ニコラスは血に染まった樫の杖を軽く構えて村長を制し、上空を指差した。 『あんぎゃああああああああっす』  それは歓喜の声だった。  数日振りに出会う兄を出迎える妹(ただしでか竜)の声。しかしその瞳は300頭の羊に向けられ一気に急降下してくるのが分かる。そう、サージェリカは確実に羊を狙っていた。隼よりも早く、獅子よりも猛烈に。騎士の一団でさえ逃げ出すであろうサージェリカの襲撃(っぽいもの)。  が。  ニコラスは不敵な笑みを浮かべ、樫の杖を上空に掲げる。 「!」  呪文を唱えたわけではない。しかし300頭の羊が金色の光に包まれたかと思うと、次々と空を駆けサージェリカに突進してゆくではないか。地より流星が昇るが如く、300条の光線が巨竜の身体に炸裂してこれを撃墜する。地に落ちしたたかに身体を地面に打ちつけたサージェリカを前に、ニコラスは説いた。 「サージェリカ、何の苦労もなく食っちゃ寝ばかりしていると身体のスタイルが悪くなってしまうんだよ。だから羊を食べたかったら、あの羊に勝てるくらい強くならないとね」 『あんぎゃぁ』  降り立った羊たちの体毛は金色となり、その身体も倍以上に逞しくなっている。サージェリカは悔しそうに唸るが、兄の言葉に頷くしかなかった。  以来。  この村ではドラゴンでさえ迂闊に近寄れない程に強い金毛羊が名産となった。最強の草食獣は毎日のように戦いを挑むニコラスの妹を退けつつ、少しずつ数を増やしている。村人はいかに羊を変えたのかニコラスに訊いたが、ニコラスは「忘れてしまいました」と爽やかな笑顔で返すのだった。