『ひとくい』  人喰いの鬼がいた。  人を食うのは鬼ばかりではなかったが、その鬼は特に人を好んで喰らった。無力な子供を、元気の良い若者を、子を身の内に宿した母親を、鬼はよく喰らった。 「なぜ人ばかり喰らう」  深い森の奥。  あるとき、死にかけの若者がそう問いかけた。  鬼は若者の右手をぼりぼりとかじりつつ、しかしその問いに対して非常に強い関心を示し、こう答えた。 『トカゲどもには鱗や甲羅があるだろう、あれを剥がすのは面倒なんだ』  次に若者の左膝を叩き折り、それを飲み込んで鬼は続ける。 『牛や鹿は硬い蹄や角があるわな、蹴られたり突かれるとただ事じゃ済まねえ』  引き裂いた右肩より噴き出す鮮血を、まるで果汁のようにすする鬼。若者は数度痙攣したあと動かなくなり、鬼は手首の軟骨をコリコリと噛み砕いた。 『その点、人間は素晴らしい』  数は申し分ない。  相手を選べば甲羅を剥がす手間もなく、反撃で手傷を負うこともない。時折森に迷い込む愚かな人間をひょいと捕まえて、そのまま貪ればいいのだ。大木をへし折り岩を砕く屈強な鬼の手にかかれば、人の身体など野イチゴと大差ないのかもしれない。 『獲り過ぎさえしなければ、幾らでも増えてくれるのだから』 「なるほど」  食い散らかした若者が、人として重要な器官を幾つも失った状態で上体を起こす。 『……化けて出るには早すぎやしないかね』 「死霊ではないさ」  若者の声が変質する。  野太い男の声が、少しかすれた女の声に変わる。それと共に若者の亡骸は煙を噴き出し、マジパン細工の人形に化けた。  いや、戻ったと言うべきか。 「ありあわせの材料で作ったのだが、良く出来ていただろう」  頭上の木が揺れ、妖精の女が降ってくる。  妖精を鬼は生まれて初めて見た。人と良く似た容姿だが、その身体に満ちる精気は尋常ではなく、鬼は自然と咽を鳴らした。面倒な甲冑を身につけているのでもなく、身を守る最低限の武器さえ帯びていない。  細い首と手足は、人間よりも脆そうだ。 『人形よりも、オレぁあんたを喰いたいね』 「やなこった」  妖精の女はきっぱり断る。  自信に満ちた表情で、妖精の女は指を鳴らした。途端に鬼の腹が風船のように膨れ、手足の先が岩と化す。歩くこともできず前のめりに倒れる鬼だが、膨らんだ腹が支えて鬼は呻き声を上げ胃中のものを吐く。  それは人肉ではなく。  マジパンでもなく。  おびただしい量の砂だった。砂は鬼の口より留まることなく噴き出して、鬼の身体を埋めていく。手足の石化はどんどん進み、鬼の顔は恐怖に歪む。 『なんだよ、これ』 「魔法」静かに妖精の女は返す。「甲羅も蹄も持たないけどね、魔法ってのも案外便利なのよ      砂を沢山くれてやるから、飽きるまで喰らうといい」 『オレはもう反省している、あんたには決して手を出さない! だから』  助けてくれ!という言葉を鬼が発するより早く。 「やーなこった」  妖精の女は微笑み、右手を横に振るう。それだけの動作で森の中に突風が起こり、人食い鬼の首はごとりと落ちた。  数日後のことである。  旅人ヨセフ・ハイマンはがっくりと膝をついていた。賞金首として大々的に掲示されていた『人食い鬼』の手配書がいつの間にか外されていたのである。 「なんでー、なんでだよ。おれが荷運びしてる間に、どーしてあっさり倒されるんだよ!」 「運が悪かったと思うことだね」  ヨセフの肩をぽんぽんと叩き、妖精シュゼッタはうむうむと頷く。 「ほら、芋掘りのアルバイト募集があるじゃない。とっとと行ってきたら?」 「……たまには一緒に行こうぜ、シュゼッタ」 「やなこった」  溜息をつき、シュゼッタは呆れつつも笑った。